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Tuesday, May 31, 2005

北岡和義ブログ第31回 NHK2004年度決算発表、減収減益

北岡和義ブログ第31回です。 NHKが5月31日、2004年度の決算を発表しました。海老沢会長辞任の引き金となった紅白歌合戦プロデューサーの不正事件や朝日新聞が特報した自民党政治家による番組介入疑惑などスキャンダルがモロに影響し、受信料不払いが急増、収支は減収減益となりました。しかもなお支払い拒否件数は増加しており、止まらないという深刻な事態となっているようです。

04年度末の受信料契約数は3662万件で前年度より28万件減、受信料不払いは74万7,000件にのぼり、事業収入6,667億円が前年比0.4%のマイナス。NHKは不払い件数の増加に対処するため、職員6,200人に増やして視聴者家庭を訪問、説明、説得を続けていると言いますが、問題はNHKに対する視聴者の不信感をどう払拭できるかでしょう。

数々のスキャンダルの問題より、深刻なのが報道機関としての基本姿勢です。見せ掛けは中立ですが、実態は体制権力べったりであることは視聴者の方が知ってしまったのです。自民党政治家の圧力とか番組介入があったかなかったか、ではなく、NHKの自己規制こそ基本的な問題なのです。それを最高責任者である会長が理事を使って協会内を権力統制、報道の現場を牽制し番組内容に介入、変更を押し付けてきたという事実です。

会長を辞任してもなお顧問として居残り、院政を敷こうとした海老沢体制に反発した視聴者の怒りが、受信料拒否となりました。兵糧攻めにあった海老沢がついに辞任に追い込まれたわけですが、後任の橋本新会長は初の技術出身会長で、報道や番組内容のことはほとんど分らないと言われています。

協会内部では多くが”当て馬”的人事で、長くはもたないだろうという見方です。さて、この困難な時代、受信料不払いがさらに続くと橋本新体制に打つ手が無く、国会に駆け込み、日本放送協会法を改悪して、受信料を税金のように強制的に取り立てることになるのでしょうか。(2005年5月31日記)

Monday, May 30, 2005

北岡和義ブログ第30回 人脈論を構想している

北岡和義ブログ第30回です。グローバル社会とは人脈のネットワーク社会のことです。いま重要なのは人脈論の構築なのです。5月26日昼、事務所を訪ねてくださった国際大学グローバル・コミュニケーション研究所の宮尾尊弘教授に人脈論を研究、講義してみたい、といった話をしたら興味を持ってくださった。翌日、さっそくぼくが話した内容を適確にまとめ原稿として研究所のウエブに掲載したい、というメールをいただきました。以下は宮尾教授がまとめてくださったぼくの考えです。 (2005年5月30日記)
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日本における新しい人脈と対話の必要性
北岡和義(JATV社長)
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現在の日本を覆う閉塞感
私は以前の論文「警告:日本の思想的鎖国」(“Warning: Japan’s Ideological Seclusion”:http://www.glocom.org/debates/20040607_kitaoka_warning)で、最近の日本では「思想的な鎖国」とでも呼ぶべき態度が見られることについて警告を発した。誰もが内向きになり、グローバル化した外の世界を見ようとしないし、また見ることができないでいる。これが若者も中高年も含めて日本人の深刻な弱点になりつつある。
そのように日本で閉塞感が支配的になった一つの理由は、日本人が非常に古くて狭い人間関係に押しつぶされているからである。伝統的な人脈というのは、派閥や学閥に代表されるように会社や学校などで形成された排他的で縦割りの関係に基づいており、いまだに日本人の職場や日常的な生活でも大きな影響力を持っている。そのような人間関係は、すでに確立した集団の既得権を守る上では有用であるが、グローバル化時代においてより開かれた創造的な社会を発展させる上では障害になってしまった。
その結果として、例えば日本ではベンチャーに必要なエンジニア、法律家、会計士など様々な専門家とコンタクトして、ビジネスをゼロから立ち上げられる人は非常に少ない。その理由は、これまでの古い人間関係が同じ会社や同じ業界のサラリーマンといった同質的な仲間の間に限られていたからである。たとえ仕事の関係で他の分野の専門家と知り合ったとしても、単に知り合ったというだけでは不十分で、それだけでは目的とリスクをともにしてビジネスを立ち上げるよう説得することはできないであろう。
もちろん若者たちは古風な人間関係を嫌ってそれを拒絶している。しかし、彼らはその代わりにオンラインのチャットやゲームの「おたく」といったバーチャルな関係に陥るか、あるいは現実から逃避して「引きこもり」になってしまう。いうまでもなく、これが約50万人といわれる「ニート」(仕事にも学校にも行っていない成人)や200万人といわれる「フリーター」(定職をもたずアルバイトを転々としている者)の存在と無関係であるはずがない。彼らの中にはインターネットを使って様々なオンライン活動をやっている者もいるが、彼らの世界は現実には非常に狭く、ごく少数のコンピューターおたくの間で親しい関係を形成している場合が多い。ここで危険なのは、彼らが幻想の世界に生きていて、彼らの人間関係が実際にどれだけ狭いかを悟れないことである。
自己の価値と意見の重要性
閉じられた人間関係や失われた人間関係の悪循環を打ち破るために、いまこそ日本で新しい人脈と対話を確立する必要がある。まず、自分自身の価値と意見を持ち、また常識も兼ね備えなければならない。それこそが他人と社会的に意味のある関係を築く上で最小限必要なことである。なぜなら常識を踏まえた上で自分の意見をもてない者は、人間関係に何の価値も付け加えることはできないからである。この点がこれまでの古い人脈に欠けているものであり、これまでは特定のグループのメンバーは、自分の意見を主張するのではなく、そのグループの価値や意見を受け入れることが当然とみなされていた。
さらに日本では、他人と対話する新しい方法を開発する必要がある。他人の言うことのすべてに同意することが良い対話ではない。もちろん対話がないことはそれ以上に問題である。いずれにしても、まず一般社会の礼儀と常識を踏まえた上で、自分の見方や意見をはっきり述べ、また他人の意見に耳を傾ける。そしてお互いから学ぶことで、客観的事実と自分と異なる解釈や価値判断をよりよく理解できるようになるのである。その結果、知識が豊かになり、知恵となって、予想不可能な世界での生活にとって役立つものになるであろう。その意味で、シナジーを生み出すような様々に異なる人たちと接触するほうが、何も新しいものを生まないような同質的なメンバー内にとどまるよりも有益であるといえる。
いったん他の分野の人とコミュニケーションをとれば、自分の見方が広がり、理解も深まり、もっと他の分野の人々とコンタクトしたいという希望もましていき、外国の人とも交わるようになっていく。それが新しい人脈と対話の好循環へと導いていくであろう。この過程で、自分の目的とリスクを共有して、一緒にベンチャービジネスやボランティア活動をやろうという人たちと知り合うかもしれない。ここで強調すべきは、情報化時代になっても、フェース・トゥー・フェースのコミュニケーションが相互の信頼と仲間意識を育てる上で決定的に重要であり、それがオンラインのコミュニケーションを有効に使うための基礎になるということである。
この点で日本は、ディベートとオープンなコミュニケーションの精神が一般化している西欧社会から学ぶことができる。実際に西欧人にとっても、就職から大統領選挙にいたるまでほとんどの社会的に重要な決定を行なう場合に、ファース・トゥー・フェースのコミュニケーションが最終的にものをいう。そして異なる組織や分野を超えた交流により、社会的な移動が活発になり、人材の効率的で望ましい再配分をもたらしているのである。
日本では、このようなオープンな人脈づくりや対話を始めるための障害は、各人の他人に対する態度だけであり、その他の障害は存在しない。確かに教育や訓練といった社会的な政策が新しいタイプの社会関係を確立する上で助けになるかもしれないが、それが十分でないことをもって自分が第一歩を踏み出さないことの口実にしてはならない。もし今すぐに皆が他人に対して自己の意見を表明して対話を始めれば、社会の雰囲気は明日にでも変わるであろう。

Friday, May 27, 2005

北岡和義ブログ第29 回 エスニックの音楽を日本へ紹介

北岡和義ブログ第29 回です。 26日、日本から音楽プロデューサーの宮田信氏が来社されました。宮田氏は元大手レコード会社に勤務していたそうですが、7年前、独立して自分なりに納得できるサウンド探しに何度もLAのラテン系の人々にコンタクトしています。彼はロサンゼルスの東郊に住むチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人の音楽を日本へ紹介する、というユニークなプロジェクトでがんばっている方です。

そうした音楽がビジネスとして成立するのかどうか、ぼくには判断不能ですが、すでに7年も続けている、という実績が、その可能性を示唆しているのかも知れません。もちろん潤沢に儲けられるというような話ではないでしょう。相当な苦労が内在していながら明るく、ポジティブに取り組んでいるようにお見受けしました。

レコード業界では宇多田ひかるのレコードが数百万枚売れる、という化け物のような話と宮田氏のようにエスニックのサウンドをCD化して日本の若者に紹介しようという地味なプロジェクトが混在しています。もちろんどの業界も大同小異でしょうが、今の時代、金、金、金がすべてで、金では買えない貴重なものを追い求める宮田氏のような存在は嬉しい。

これまで宮田氏が出版したエスニックのCDは、かなりの数にのぼり、中には結構、売れて商売になったものもある、という話でした。 ぼくの息子もミュージシャンですが、それぞれの音楽があっていい。宇多田の二匹目のドジョウを血眼になって探している音楽プロデューサーの目は恐らくかなりどす黒く濁っているのではないか、と勘ぐってしまう。

畏敬するジャーナリストの大先輩、TVキャスターの筑紫哲也が無沙汰代わりにと送ってくれた書『ニュースキャスター』(集英社新書)は、井上陽水の音楽を論評しながら「音楽の力」を強調しています。筑紫は人類の最大の発明を「音楽(12音階)」だと言い、坂本龍一や桑田佳祐、森山良子、加藤登紀子らミュージシャンとの交流を描きながら「私のこだわりは、煎じ詰めれば、音楽の力を信じているからだ。畏れもしている」と言い切っています。

宮田氏の興味ある話で最近の日本の若者の傾向について付記しておきたい。いま、日本の若者の間でラテン系のサウンドが人気なのだそうです。これ、新たな音楽の動向を占う、一つの手掛かりかも知れませんね。そこにビジネス・チャンスがあるかも・・・。ああ、そういう発想は止そうじゃないか、と前記したはずなのにねえ。宮田氏を紹介してくれた女性から6月に東京で開かれるトーク・ライヴショーに招かれています。彼女のこともいつか本ブログで紹介します。(2005年5月27日記)

Monday, May 23, 2005

北岡和義 ブログ第28回 米国創価大学が初の卒業式

北岡和義ブログ第28回です。5月22日、創価大学アメリカ(羽吹好史学長)の第一回の卒業式(写真)に取材に行ってきました。この大学は2001年5月3日に開学した創価大学の姉妹校。日本の私立大学で、アメリカに分校を置いている大学は何校かあるが、米国認可の4年制大学は珍しい。初の卒業生は100名、SGI(創価学会インターナショナル)会員の子女が多いのですが、32カ国・地域から学生が来ており、キャンパスは国際的。1クラスの受講者が最大16名という大学院並みの徹底した少数精鋭教育です。学生数10万人、講義を受講する学生が一クラス500人という私学が日本にざらにあり、それと比べると比較にならない良好な学習環境で、しかも全学生の8割が何らかの奨学金を得て勉強しています。

ロサンゼルスの南郊、アリソビエホという大学の開学とほぼ同時に設立された市。卒業式にはカール・ワコムスキー市長も来賓としてあいさつ、卒業生100人に2300人の父兄や学会員が参列しての盛大な卒業式でした。日本とアメリカはもちろん南アフリカ、トルコ、メキシコ、タイ、インドなど世界各国から学生が来ているというのもSGIの実力と言えるのでしょう。

少子高齢化で日本は2006年をピークに人口が減り、大学に進学する学生の絶対数が今より少なくなってゆく傾向にあります。また国公立大学も独立行政法人化されて、大学経営の独自性が問われる時代となってきており、各大学の総長、学長らは魅力ある大学つくりと経営効率という二律背反的課題に取り組んでいるとき、財政的基盤の磐石の創価学会をバックにしたアメリカの創価大学は、羨ましい存在ではないですか。(2005年5月23日記)

Friday, May 20, 2005

北岡和義 ブログ27回 新LA市長と日系社会の関係は?

北岡和義ブログ第27回です。 昨19日夜、南カリフォルニア日系商工会議所の常任理事会が開かれ久しぶりに出席しましたが、その場にジョージ中野・前カリフォルニア州下院議員が来ていました。奥さんが薙刀の先生、本人も剣道をやる根っからの親日家の日系二世政治家で、彼の選挙区はトヨタ、日産、ホンダの米国法人本社があるトーレンス市で日系企業が集中している町です。席が隣だった事もありLA市長選で当選したアントニオ・ビャライゴサという政治家について聞いてみました。

本ブログで書いたように今回の市長選は現職、ジェームス・ハーン市長に挑戦したビャライゴサとも民主党同士の戦い。日系社会は支持が両候補に分かれたようです。ロサンゼルス・タイムス紙の分析が興味深い。アジア系の56%がハーン支持、ビャライゴサ支持は44%、前回はハーンが65%、ビャライゴサ35%でしたので、現職市長だったハーンの評価が着実に下がったことを示しています。

黒人の青壮年層(18歳~44歳)ではビャライゴサ支持が59%、ハーン41%とビャライゴサに人気が集まり、逆に高齢層(65歳以上)はハーン57%、ビャライゴサ43%と逆転しているところが面白い。18歳から29歳の最青年層になりますとビャライゴサ77%、ハーン23%と圧倒的に若い人たちはビャライゴサを支持したというLAタイムスの分析結果です。

中野氏はトーランス市の市会議員からカリフォルニア州下院議員を2期務め、来年の州上院議員選挙に出馬する準備を進めています。州下院議員のとき、同じ下院議員だったビャライゴサを良く知っていて、一緒に仕事をしたこともあり、今回の市長選ではビャライゴサを支持したそうです。

で、ぼくの関心事はビャライゴサ新市長の日系コミュニティへの関心ですが、彼は民主党でもかなりリベラルな政治家で、労働組合票や黒人層やマイノリティ連携で当選したこともあり、貧しい市民緒見方のイメージがあります。マイノリティとしての日系コミュニティにも、いい市長になるのではないか、というのが中野氏の見解でした。

人口の5割近い市民がヒスパニック系で占められるロサンゼルスです。アーノルド・シュワルッツネガー・カリフォルニア州知事がオーストリー移民一世、LA市長がメキシコ系二世といかにも全米でも移民流入が多いカリフォルニア州らしい政治家選びで、ビャライゴサの手腕に期待したいところです。新市長にインタビューを申し込もうか、と考えています。受けてくれますかな。(2005年5月20日記)

Thursday, May 19, 2005

北岡和義ブログ第26回 コンサドーレ札幌少女買春事件で思う日米の差

北岡和義ブログ第26回 です。プロサッカー、J2コンサドーレ札幌を運営する会社の役員(46歳)が少女買春容疑で捕まった、という記事をインターネットで読みました。社長が陳謝し、20%の減給(3か月)措置、会長は辞任と報じています。この事件に日米の反応の差を実感しました。以下、共同電です。

札幌・中央署は9日、中学2年の女子生徒2人に現金を渡し、わいせつな行為をしたとして、児童買春禁止法違反の疑いでJリーグ2部(J2)コンサドーレ札幌を運営する北海道フットボールクラブの取締役総務部長・柳沼聡容疑者(46)=札幌市中央区北五条西=を逮捕した。
 調べでは、柳沼容疑者は1月2日夕、テレホンクラブで知り合った札幌市内の当時14歳と13歳の中学2年の女子生徒を市内のホテルに連れ込み、現金1万円ずつを渡してわいせつな行為をした疑い。

このニュース、一見なんでもない、いつでも、どこでも、よくある性にまつわる個人犯罪で、珍しくもありません。ところがアサヒ・ドットコムの記事を読んでいて、社長がぼくの新聞記者の先輩で、札幌、東京、ワシントンと長く付き合っている友人であることに気づいたので、ちょっと気になりました。

お見舞いのつもりでIP電話をかけてみた。ロサンゼルスの朝は札幌では深夜、ちょうど帰宅したところで本人と話ができた。つまらん事件にひっかかり大変ですね、と言うと、問題は犯罪そのものより、報道を通じてファンに与える球団のイメージの低下、それにスポンサーが降りてしまうという経済的ダメージも大きいのだという意外と深刻な話でした。

コンサドーレ設立資金には北海道庁や札幌市のお金が入っているので、北海道の公的スポーツ団体のような見方があり、性に飢えた中年男の個人犯罪にもかかわらず、球団全体の責任が問われる事態となって想像以上に問題は大きく、連日、メディアに追われているのだというのです。

そうかなあ。アメリカだったら、どんな反応になるだろうか、とぼくはじっと考えてみました。個人の言動や犯罪で、集団全体が問われることはまずありません。ビル・クリントンがアメリカ大統領であったときのピンク・スキャンダルを思い出します。モニカ・ルインスキーという 愛人との情事が連日、メディアで取り上げられ、議会の公聴会まで開かれながら大統領職を追われる事にはなりませんでした。

大統領のピンク・スキャンダルは確かにメディアにとっては面白く、大衆の興味を惹く事件ではありましたが、だからといって大統領に懲罰的な動きにはならなかったところに公私を区別する冷静さを失わないアメリカ的公平さを思います。下半身の問題をメディアがこぞって取り上げたにも係わらずクリントンの支持率は6割を超えていたのです。

日本では俳優やタレントの息子が麻薬で捕まったり、暴力事件、飲酒運転など問題を起こすと親まで責任を取らざるを得ない破目に追い込まれます。しかもメディアの報道がそうした筋違いの責任追及を加速させるのです。これはちょっとおかしいと思いませんか。

コンサドーレの社長は新聞記者出身だけにそうした日本の世論や社会の目に敏感なのでしょう。ファンに対する謝罪は素早かったので、波紋はこれ以上広がる事はないと願っていますが、それにしても少女をいたぶった中年の総務部長、熱烈なサポーターだったそうで、その熱意が買われて専従役員に引き上げられたという経緯があり、とんでもない不祥事で球団のイメージを落とした罪は大きいですねえ
。(2005年5月19日記) 

Wednesday, May 18, 2005

北岡和義 ブログ25回LA市長にメキシコ系二世、ビャライゴサ氏

北岡和義ブログ第25回です。 5月17日に行われたLA市長選決選投票で、メキシコ系二世、市会議員のアントニオ・ビャライゴサ氏(52歳、写真)が、現職、ジェームス・ハーン氏を破って初当選しました。ヒスパニック系のLA市長は1872年以来133年ぶり、といいますが、当時のLAの人口はわずか5000人でしたから今のLAとは比較になりません。

現在、ロサンゼルスの人口は370万人、LA都市圏はニューヨークに次いで全米第二位。ヒスパニック系でメジャーの市長としては1980年代のテキサス州サン・アントニオ市長、ヘンリー・シスネロスや1983年、36歳でデンバー市長選に挑戦して4445票という僅差で当選したフェデリコ・ぺーニャを思い出しますが、西海岸最大、アジア化が進んでいる巨大都市ロサンゼルス市長にメキシコ系移民二世、ビャライゴサが当選したことの政治的意味は大きいと思います。

前回の市長選もジェームズ・ハーンとビャライゴサ、民主党同士の対決でしたが、この時はビャライゴサが敗退してハーンが当選、ビャライゴサは市議会議員に留まったのですが、今回は二度目の挑戦、ヒスパニック系市民は言うまでも無く、反ハーン色を鮮明にした黒人層の支持を取り付けたこと、ウォーレン・フルタニら日系の支持も得て、現職を破り市長の座を奪還しました。

ロサンゼルス市ではメキシコ系が人口の48%で断然トップ、白人は30%、アフリカ系(黒人)11%、アジア系10%とマジョリティであるはずの白人が実態はマイノリティ(少数派)なのです。 もともとカリフォルニア州はメキシコ領でした。1848年、米墨戦争に勝利した第11代大統領、ジェームズ・ポークがメキシコから割譲(買収とは言うが事実上、強奪した)して、アメリカは大陸国家となったのです。

現職の敗北といいますと2003年10月、住民投票でリコールが成立して知事の座を追われた民主党、グレイ・デービスとハリウッド俳優、アーノルド・シュワネッツガーの対決を思い出します。デービスとハーンにはカリスマ性の無さ、大衆にアピールする指導者としての魅力欠ける共通の欠点があったように思います。市長職はもっとも住民に近く、それだけに政策の一つ一つが住民の共感や反感を招き易い政治ポストです。黒人の市警幹部を罷免し、黒人住民の反感をかったことも敗北の一つにあげられています。

ビャライゴサは父親不在の母子家庭のような環境で育ったメキシコ系二世ですが、カリフォルニア州下院議員のとき、全米日系人博物館の設立に尽力したことを日系の集会では強調していましたが、日本のことをどれほど知っているのか疑問です。ハーンもその前のリチャード・リオダン市長もほとんど日系社会への関心は薄く、市長と接する機会はありませんでした。

名市長と言われた黒人市長、故トム・ブラッドレーが実にこまめに日系のイベントに顔出してくれた1980年代が遠い昔になってしまいましたが、さて、ビャライゴサの市政でマイノリティに対する施策はどうなるのか興味あるところです。(2005年5月18日記)

Tuesday, May 17, 2005

北岡和義ブログ24回 ブログ人口激増、335万人に

北岡和義ブログ第24回です。ブログを始めて1か月半。毎日発信は叶いませんが、それでも24回目となりました。ブログ人口が激増しています。

アサヒ・ドットコムによりますと総務省は17日、ブログを書き込んでいる人は昨年度末で延べ約335万人、ブログを読んでいる人は約1651万人にのぼったとの推計を発表しました。06年度末には利用者が約782万人、閲覧者が約3455万人と、ともに倍以上に増えると予測しており、総務省は「個人間の情報交換が盛んになることで、新しい技術やビジネスの芽になる」とみています。
 「ブログ上の広告など関連事業の市場規模も、04年度の約34億円が、06年度には約1377億円になると推計している」という記事ですが、果たしてビジネスになるのかどうか、ぼくには分りません。ただ過去になかった面白い情報通信ツールであることに間違いなく、このブログが世の中を変えるパワーになるかも知れない、と思うと続けてその反応を見たい、と考えるのはぼくだけではないでしょうね。(2005年5月17日記)

Saturday, May 14, 2005

北岡和義ブログ23回 名古屋学の権威が語る日本経済

北岡和義ブログ第23回です。5月13日昼、日本人町リトルトーキョーの都ホテルで、ぼくが1976年から主催していますABC昼食会を開き、 名古屋学の権威・岩中祥史氏(写真、エディットハウス代表取締役)の名古屋についての薀蓄を聞きました。実に面白かったのは「不況時になると「名古屋の話をしてくれ」という依頼が殺到するが、好況になるとぴたり来なくなる」という話。ケチ、内向き、排他的と言われながらなぜいま、名古屋が元気なのか。

岩中氏が名著『名古屋学』(新潮文庫)を書いたのは10年前。名古屋は東京、大阪と違って”大いなる田舎”と言われた文化に縁の薄い大都市というイメージでした。ところが日本は”ロースト・ナイティーズ”(失われた90年代)と言われたバブル崩壊後の長く暗い不況の時代、本書は俄然、注目を浴びベスト・セラーに。今も名古屋へ赴任するサラリーマン必読の書としてロングセラーを続けているそうです。

岩中氏は友人のジャーナリストの紹介で10数年前から断続的にお付き合いいただいている編集のプロ。ご本人も原稿書きですが、数年ぶりの再会でした。2003年には『出身県でわかる人の性格』(草思社刊)を上梓、出版1ヶ月で10刷がでるベストセラーに。今や名古屋学の権威として講演に歩き、テレビでコメントし、、県民性解読、地域研究をお得意とする異色のジャーナリストです。

考えてみれば戦後の日本は「東京」だけが元気で、東京の言う事だけが正義で、東京に服従しないと生きてゆけない時代がありました。これまで日本は強大なる中央集権官僚国家でした。言うまでも無く名古屋は信長・秀吉・家康という三大英傑を輩出した地ですが、政権を取ると信長は安土に、秀吉は大阪に、家康は江戸に城を築き、名古屋を棄てて天下を支配しました。

それ以降、名古屋は大いなる田舎に甘んじてきたのです。ところがなぜ今、名古屋なのか。実際に名古屋を研究してみると製造業出荷額は日本一、日本の貿易黒字の6割は愛知県、失業率は全国平均より1ポイント低く、GDPは12.8%高い。2004年の有効求人倍率は年間通じてトップで、サラリーマン世帯の家計健全度も第1位という実力優等県なのです。

そして今や注目の中部国際空港が開港、愛・地球博で世界から人が集まり、名古屋グルメが注目を浴びています。岩中氏は「ケチと言われた名古屋人が”もったいない”という気持ちを大切に生きている。この倹しい生き様が今の時代を刺戟しているのです」と言う。環境保護とか地球に優しく、というキャッチフレーズこそ”もったいない精神”なのです、という岩中氏。これ、この言葉、英語に無いもんね。「ですからぼくは”MOTTAINAI”という言葉を英語にしようと運動したい」う~ん、なるほど。これは面白い。(2005年5月14日記)

Friday, May 13, 2005

北岡和義ブログ22回 小原LA総領事館首席領事着任

北岡和義ブログ第22回です。5月12日夜、日本人町リトルトーキョーで、 地元日系コミュニティ諸団体による小原雅博在ロサンゼルス日本国総領事館首席領事(写真)着任の歓迎会が開かれました。前任の國方俊男首席はデュッセルドルフ総領事に転出、その後任に4月1日付けで小原氏の着任となった。外交官と日系コミュニティの関係について書きます。

ロサンゼルスの総領事館はニューヨーク総領事館とともに189の在外公館(大使館116、総領事館66、政府代表部7)で、もっとも忙しい総領事館の一つ。総勢55名(日本派遣23人、現地雇員32人)の大所帯で、特に北米最大の日系コミュニティがあることが大きな特徴です。現在の総領事は野本佳夫氏、北京大使館特命全権公使からロサンゼルス総領事館に着任した外務省きってのチャイナ・スクール。首席領事もキャリア外交官ポストです。

小原首席領事は1955年、徳島県生まれ、80 年東京大学文学部卒。84年カリフォルニア大学バークレー校修士号取得。国連日本政府代表部一等書記官、アジア局地域政策課長、経済協力局無償資金協力課長などを歴任、中央大学や早稲田大学、九州大学など多くの大学で教鞭を取り、著書も多い学究派。 7月に『アジア共同体』という書を上梓します。

この夜はロサンゼルスの日系コミュニティの親分衆約40人が一堂に会し、小原首席に歓迎の意を表したが、なにしろほぼ全員、小原首席より年長者、「総領事館はもっと地元コミュニティをしっかり支えて欲しい」という長老のハッパに、「お手柔らかに」に辞を低く返していましたが、本音でしょう。外交官はほぼ3年区切りで交代するルーティン人事です。異動がある度にこうした歓送迎会が開かれるがのがLA日系社会の慣例になっていますが、海外日系社会の高齢者の”お上大好き”という裏に、”叙勲”がほしいという飴玉がぶら下がっているようで、あまり気分のいい歓迎会でした、とは言えませんねえ。(2005年5月13日記)

Thursday, May 12, 2005

北岡和義ブログ21回アフガンから元気な便り

北岡和義ブログ第20回です。東西文明の十字路に位置するアフガニスタンは四半世紀続いた内戦と911テロ後の米軍のアフガン攻撃で荒廃しきってしまった。戦後、復興に日本をはじめ各国の援助が投入されているが、日パ旅行社の督永忠子さん(写真)がアフガンの現状についてメールをくださいました。督永 さんの元気な便りをご紹介します。アフガンにもぼくがこのブログに書いたハカランダ(英語読み、ジャカランダ)の花樹があるんですね。 カリフォルニアと気候が似ているのかな。

督永さんはジャーナリストの友人が紹介してくださり、東京の労働組合の集会に招かれ、講演されたとき、お会いしました。なにしろ元気、活力溢れるガッツお姉さんでありました。(2005年5月12日記)

<督永 忠子さんからのメール>・・・・・・・
ご無沙汰いたしております。忙しくてHPの更新が手抜きになっておりました2ヶ月でしたが、いたって元気にしており、相変わらず走り回っております。並木通りの幅いっぱい、天高く霞のように広がる薄紫色の花ジャカランダが満開になり、一年中で一番美しい季節だと改めて感動している最近です。

格調高いジャカランダの花だけではなく、夏を迎えつつあるイスラマバードの街はどこもかしこも溢れんばかりの花と緑に被われ、茶褐色の多いアフガンから帰って来ますと生き返る思いです。とはいえ、アフガンも復興が始まって今年で4年目、住む人が戻り以前に比べますとカーブルの緑も極端に増えました(帰国した人たちは、まず家の周囲に果樹を植えます)。

さて、アフガン政府農業省との正式契約がようやく出来上がりました。契約書の出来上がりを待っていたら何時になるのか分からない!というので、まず、種まきや植え付けを始めましたので、現在農業試験場ではジャガイモがスクスク育ち、佐藤錦と同種のサクランボも根付き、八升豆もようやく芽が出始めました。おまけに嬉しいことに今年は1週間ごとくらいに雨が降るのです。2月に蒔いたイスラマの八升豆は毎日背を伸ばし、大きなものは2m近くにも伸びています。

また、イチジクの苗も約4割の20本近くが新芽を出しましたから来年が楽しみになりました。某大新聞ではアフガンの治安悪化が大きく?取り上げられたそうですが、居住している者の感覚からすれば、昨年に比べると段違いに安定しており、治安の悪化は一部、そして決まった地域に限定されているように思えます…。1ヶ月前に電気のある地域へ引っ越しましたが、今度はインターネット用のアンテナが壊れ、カーブルからのメールが出来なくなりました。電気製品は平均して2年弱で壊れる!というのが、またもや実証されました。土埃の多いアフガンですが、それでも確実に何もかもが良くなって来ております。もっともイラクに比べますと、その圧倒的な貧しさは避けられませんが。

Wednesday, May 11, 2005

北岡和義ブログ20回続・ナチ戦勝記念日LAで日系兵士顕彰

北岡和義ブログ第20回です。昨日に引き続き日系アメリカ人兵士がドイツでナチの強制収用所からユダヤ人を救出したお話。今回は顕彰された元日系兵士、ジョージ・イシハラ上等兵(84歳、写真)のインタビューについて書きます。

5月10日11時過ぎ、トーランスの米国トヨタ本社でのアポイントを終え、フリーウエイ405号を北上して、フリーウエイ10番に乗り換え、センチネラで降りた所にイシハラさんのお宅がありました。空は青く澄んで、雲ひとつ無いカリフォルニア、真っ赤なパイビスカスが初夏の雰囲気を告げています。

前回、書きました日系二世部隊「442連隊」に522野戦大砲大隊があり、ジョージ・イシハラ上等兵はそこでトラックの運転手をしていました。ワシントン州生まれの日系二世(家系は熊本)で、ルーズベルトの大統領特別行政命令9066号で、アメリカ人でありながらアイダホ州ミニドカ日系人強制収容所に入れられ、志願してヨーロッパ戦線に行きました。

「(自分が)アメリカ人であることを証明するために志願した」とイシハラさんは言います。野砲大隊は、1945年4月末ころ南フランスからドイツ領に侵攻、敗走するドイツ軍を追ってミュンヘン郊外のダッハウ(英語読みではダッカウ)強制収用所に入りました。すでにドイツ軍は一人残らず逃げて、収容されていたユダヤ人が縦じまの囚人服を着せられていたのを発見しました。多くは栄養失調で食べるものが無く、病んでいた囚人も多かった。所内で馬の骨を見たが、それは食べるものが無く、友人たちが馬を殺して食べた跡に違いない、と思った、とイシハラさんの話です。

最初、ユダヤ人は野砲大隊の大半が日本人の顔をしていたことに驚き、敵兵だと観念したそうですが、アメリカの軍服を着ていて、アメリカ人だとわかり救出を喜んだそうです。イシハラさんは5月8日、ロサンゼルスの寛容博物館前で行われた顕彰パレード、式典に参加しましたが、祖国アメリカのために戦った誇りを今も抱きつつ、若い日系四世や五世の世代には教育が最も大切と強調しました。

イシハラ上等兵ら野砲大隊の日系人兵士らが最初にユダヤ人を強制収用所から救出したドイツ体験は長く秘密とされていました。全て白人兵士が救出した、という話になっていた、というのです。人種差別が戦後も続いていたという事実に驚きます。名誉回復したのはクリントン大統領の時です。

もう日系兵士にとって「もう一つの戦争」と言われた人種差別との戦いは最近まで続いていた、ということを日本にいる日本人は知らないでしょう。イシハラさんは元気で優しい元兵士でした。戦後はマクダネル・ダグラス社で飛行機の検査技師として35年働いたイシハラさんは今は多くの孫に囲まれて平和な生活をサンタモニカで送っています。医者やPh.D.(哲学博士絵)を取得している血縁がいることもイシハラさんの誇りです。(2005年5月11日記)

Tuesday, May 10, 2005

北岡和義ブログ19回ナチ戦勝記念日LAで日系兵士顕彰

北岡和義ブログ第19回です。JATVでは毎週月曜の朝、30分早く出社して番組企画会議を開いています。そこでナチ戦勝記念日の5月8日、LAで日系二世部隊の兵士を顕彰するパレードの話が報告されました。歴史で有名な米軍の日系二世部隊442歩兵連隊に第522野砲大隊という部隊がありました。、この大隊の兵士たちがドイツのダッハウという所のユダヤ人強制収用所に収容されたユダヤ人を救出した、という大戦秘話です。

1945年5月8日はナチスドイツが降伏した日。VEデー(ヨーロッパ戦勝記念日)と言います。ロサンゼルスにはピコ大通りに「寛容の博物館」というホロコースト博物館がありますが、この博物館を主宰しているサイモン・ウィーゼンタールというユダヤ人の人権団体が8日、日系退役兵士を顕彰するパレード(写真)と式典を実施したのです。

ロシアでブッシュ大統領や小泉首相が赴いて参加したのが、この戦勝記念日の式典でした。世界中が第二次世界大戦の戦勝日から60周年を祝ったのです。ムソリニーが銃殺されたのがこの年の4月28日、ヒットラーの自殺が月30日、そして日本が無条件降伏したのは3か月余の後でした。

ヨーロッパ戦線で勇敢に戦ったことで知られる日系二世部隊は1万8143個の個人勲章、7つの大統領殊勲感謝状を受けた「アメリカ戦史を通じて最も多数の勲章を授かった部隊」(ドウス昌代著『ブリエアの解放者たち』(文芸春秋刊)です。第二次世界大戦で徴兵された日系兵士は3万3330人。そのうち442部隊はヨーロッパ戦線に出征、最前線で戦ったのです。

もう一群は太平洋戦線で日本兵捕虜尋問の通訳や日本軍が残した書類などの翻訳の仕事に従事した日系兵士がいました。彼らは語学兵と呼ばれ、MIS(陸軍情報部)や海軍情報部に所属した秘密部隊でした。

442部隊は主にフランス、イタリア戦線で戦闘に参加し多くの日系二世が戦死したのですが、戦闘で右腕を吹き飛ばされたダニエル・イノウエは後にハワイから上院議員として連邦議会に出た話はアメリカ人なら誰でも知っています。イノウエ上院議員は今も民主党の実力者として現役で、ロサンゼルスの全米日系人博物館の象徴的存在です。

さて、442部隊に522野砲大隊があって、この部隊はフランス戦線からドイツ領に入り、ミュンヘン郊外にあったダッハウ強制収容所に強制収容されていた囚人を救出したのです。日本人の顔をしている兵士を見て、囚人となって飲まず食わずのユダヤ人はギョッとしたと言います。というのは日本はドイツの枢軸国でしたらね。

今日10日は、そのダッハウの救出にあたった522野砲大隊のベテラン(退役軍人)日系兵士にサンタモニカでインタビューします。内容は明日、本ブログに書きます。(2005年5月10日記)

Sunday, May 08, 2005

北岡和義ブログ第18回週刊誌批判の英文の本出版

北岡和義ブログ第19回です。5月7日夜半過ぎ、長年の親友、渡辺武達同志社大学教授から電話がありました。サンフランシスコでアメリカのテレビのインタビューを受けてLA経由で帰国するのだという。寝る前にいっぱい飲もうとホテルに出向くと『A Public Betrayed』という英語の本(写真)を渡されました。「裏切られた人々」といった意味でしょう。日本の週刊誌状況について書き、批判した書です。

渡辺教授とアメリカ人ジャーナリスト、アダム・ギャンブル氏の共著で、日本のメディア状況が英文で、アメリカで出版されたことは現代の日本理解に一石を投げかけることは間違いないと思います。もちろん欧米にも低俗なイエロー・ジャーナリズムと言われるスキャンダルや扇情的な記事で売る新聞や雑誌は存在します。それ対して真面目に報道、評論を載せる新聞や雑誌はクオリティ・ぺーパーと呼んで、社会に大きな影響力を持っています。

ところが、日本のようにメジャーの出版社が発行する週刊誌が、政治、経済や国際問題を取り上げる同じ誌面で、裸の女性の写真を載せ、セックスやスキャンダル記事を満載する、といった雑誌はアメリカ人の理解を越えます。以前、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で、ジャーナリズム論を教えていたアメリカ人教授に頼まれて、日本のメディアについて講義した事があります。教室に日本の週刊誌や月刊誌を持ち込んで、その内容を学生に見せたら、信じられないという驚きの声があがったことを思い出します。

文芸春秋とか講談社、小学館、新潮社といった、いわゆる大出版社が発行している週刊誌の中身のおぞましさ。もう、「報道」とはほとんで言えない、売らんがためのウソ、歪曲、捏造記事のオンパレードを本書は具体的に記述し、日本のメディア状況の腐敗、堕落を書いている、と言えば本の内容が想像できるでしょう。

ぼくの実感では25年前、渡米した1979年以前に比べ、週刊誌に限らず日本のメディアは大新聞、巨大テレビ含めて確実に低劣、堕落していると思います。情報番組と言われるスタジオ構成でおしゃべり中心の安易な番組作り。大衆の覗き趣味や感情に訴える内容が先行して、ニュースを真面目に取り組み、考える番組のいかに少ない事でしょうか。

1995年2月、文芸春秋社が発行していた『マルコポーロ』という雑誌が、「ナチガス室はなかった」、という記事を掲載してユダヤ人の怒りをかったことがあります。ユダヤ人の抗議に文春は、ついに『マルコポーロ』を廃刊にして対処しました。どうしてそうした荒唐無稽の記事が、ただ読者の興味を惹こうとして企画されるのか、メディアの堕落としか表現のしようがありません。

もちろんメディアも商業新聞、雑誌、テレビであるかぎり「売らねばならない」ことから来るプレッシャーで編集長やプロデューサーの煽情的な記事や番組となる事は否めませんし、アメリカのメディアにもそうした傾向を否定できませんが、それも程度問題です。

渡辺教授は2001年、ハーバード大学で客員教授としてメディア状況を研究、数多くの本を書いていますが、英語で出版したのは本書が初めてです。今回のテレビ、インタビューも中国における反日デモについてのアメリカのジャーナリズムの関心だったと言います。

なぜ、小泉首相がムキになって靖国神社を参拝するのか。アメリカ人には理解できないでしょう。韓国人や中国人の憤激を現職の総理大臣本人が助長する政治行動に出る、といった馬鹿げたことが罷り通っている現実をきちんと書いた本書は、アメリカ人の対日観にインパクトを与えると思います。願わくば早急に日本語訳が出版されることです。(2005年5月8日記)

Saturday, May 07, 2005

北岡和義ブログ第17回 ハカランダの花満開

北岡和義ブログ第17回です。日本の桜は終わりましたか。桜前線は青森あたり?いや、すでに津軽海峡を越えて函館まで上っていますか。日本の桜が終わり葉桜になる頃、ロサンゼルスでは紫色のハカランダ(写真)の季節となります。

華やかに咲くパープル色のこの花樹は、熱帯、亜熱帯各地で街路樹として広く利用され、樹高は15メートルにもなります。英語読みで「ジャカランダ」、キリの花に似ていることから「桐擬き(キリモドキ)」と南米日系移民の人たちが名付けました。ハワイの日系人は日本の桜を偲んで「ハワイ桜」や「紫の桜」とも呼ぶそうです。そのハカランダの花がぼくのアパートのあるバンカーヒルで満開、いや、もう盛りを越えて花を落としている樹もあります。

さくらの花がヒラヒラ、ハラハラと風情ある散り方をするのと対照的にハカランダの花は、ボタっ!、ボタっ!といった感じで落ち、およそ風情なんて全くありません。しかも落ちた花弁を踏みつけて歩くから歩道は花汁が飛び散ってなんとも汚くなります。こんなところも日本の桜と違う。

それに日本のように花見酒はご法度。アメリカでは公園など公共の場で酒を飲むことが禁止されていますので日本のような花見酒で浮かれる、といった光景を見ることはありません。やっぱり日本の春はいいなあ。花ぐもりとか花吹雪・・・いいですねえ。

でもロサンゼルスから西北に2時間ほど走った砂漠のど真ん中・ランキャスターという町に野生カリフォルニア・ポピーの群生地があり、オレンジかかった黄色いカリフォルニア・ポピーが蜿蜒と咲き乱れます(今年は不作だったようですが)。またメキシコと国境を接するサンディエゴ市の北郊、オーシャンサイドでは花を栽培する農家があって、広大な花畑が各種の花で埋まります。ロサンゼルスには日本で知られていない観光の穴場がいいぱいあるのです。1年のうちで一番綺麗な季節が4~5月であることは日本と同じです。(2005年5月7日記)

Friday, May 06, 2005

北岡和義ブログ第16回高級化するアメリカの日本食店

北岡和義ブログ第16回です。昨夜はロサンゼルスのお金持ちの街で有名なベバリーヒルズに行ってきました。昨秋、オープンした日本食の店「梅の花」のリニューアルの披露があり、招待されたのです。最近はニューヨーク、ロサンゼルスとも日本食店がアメリカ人に人気を呼び、高級化しています。日本でも珍しいような、内装にお金をかけた凄い豪華な店がどんどん開店して、高い地酒が売れています。

久しぶりに1月にニューヨークへ行ったのですが、マンハッタンには「雅(まさ)」「えん」「めぐ」「まつり」といった高級日本食レストランが続々オープン、地酒はアメリカ人の間でブームになっているのです。この3月には「のぶ」がミッドタウンに開店しました。「のぶ」はロサンゼルスのベバリーヒルズで大成功した日本食レストラン「松久」の姉妹店。ハリウッドの俳優ロバート・デ・ニーロが資金を提供したことでも話題となっています。「めぐ」は280席という大型店で、ロサンゼルス進出も考えているとか。

ハリウッドのど真ん中に開いた「かたな」も客は9割以上が白人、映画関係者のたまり場となって毎夜賑わっています。この高級日本食ブームの走りとなったのが、先述したLAの「松久」の成功です。日本食をアメリカ人向けに工夫し、フランス風に料理したり、真っ白の洋風の皿を取り入れたりして、いわゆる日本の老舗とはかなり違った雰囲気ですが、値段はLAの和食店の2倍から3倍します。

さて、昨秋、開店した「梅の花」ですが、久留米を本店とする日本で80店を有するチェーン店の初の米国店で、出し物は豆腐料理と湯葉。内装は美術館や高級ホテルも腰を抜かすような豪華絢爛の店です。「豆腐」は英語「TOFU」となってポピュラーですが、アメリカ人の「TOFU」観は健康食。確かに大豆タンパクが身体にいい、ということは知れ渡ってきて、「TOFU」が売れているのですが、豆腐と湯葉を中心にした料理をアメリカ人が「健康」を理由に食べるかどうか、大いなる実験でもあるわけです。

この春、メニューをリニューアルして、昨5日夜、招待客に披露されたわけですが、やはりアメリカ人の口に合うように、というシェフの工夫のあとが感じられました。ビジネスが行き詰った時は「マーケットに聞け」と言います。アメリカ人の嗜好を良く考えた上で、メニュー展開をしてゆくことが成功に結びつくのではないか、と思います。

アメリカで高級化する日本食を見ていますと、昔の日本で、高嶺の花だったフランス料理の高級レストランを思い起こさせます。そして日本食はどんどんアメリカ社会に浸透してゆく。それこそ文化融合のプロセスなのかも知れません。

まあ、一度、愛する人とか大事なお客さんを連れて「梅の花」のドアを押し、豆腐料理を味わってみてください。そこに新しい日本文化の国際化の一歩を見ることになると思います。日本食は間違いなく今世紀に世界食に成長するでしょう。(2005年5月6日記)

Thursday, May 05, 2005

北岡和義ブログ第15回「こどもの日」を「大人の日」に

北岡和義ブログ第15回です。今日は5月5日、こどもの日。4月1日現在の日本の子どもの数は1765万人、昨年より15万人減、24年連続、子どもの数が減少してきた。総人口に占める子どもの割合は31年間、連続減少している~との情報は今朝読んだ江田五月参議院議員(民主党)のメルマガでした。着実に少子高齢化が進行している現実をこの数字がわれわれに突きつけてきます。

昔、端午の節句~こどもの日、子どもたちの健やかな成長を祈って、5月人形を飾り、鯉のぼりを揚げる。アメリカという社会は子どもは社会の資産という考え方が強い。だから親が幼児を乱暴に扱うと官憲に逮捕されます。事実、ガーデナのショッピング・センターで子どもだけを車内に乗せたまま、買い物をしていた日本人の若い母親が逮捕されたケースがありました。

日本では子どもを酷い折檻で死なせてしまったような極端な例は別として、アメリカほど厳しくないように思います。子どもを一人の人格として認め、例え幼い子どもでも責任ある生活態度を教えます。いまの若い日本人夫婦が、子どもの日の意味を考え、噛み締めるような余裕があるでしょうか。

日本人は、テレビを見てJR西日本の通勤列車転覆脱線事故に怒り、哀しむ一方で、10日間という大型連休を十分楽しんでいる。今朝のニュースでJR西日本の天王寺車掌区の社員が福知山線の脱線事故当日、ボウリング大会を開いた、というニュースを、非常識ではないかとのトーンで報道していた。ぼくは911同時テロ直後、ニューヨークで二つの高層ビル崩落現場を背景にピースサインで写真を撮っていた若い日本人をアメリカのメディアが怒って報道していた事を苦々しく思い出しました。

何かがおかしいのです。ちょっと狂っています。大事件大事故が起こる度にその日本人の非常識感覚が問題を起こします。考えなければならないのは子どもではなくて大人のほうではないでしょうか。どうも大人を躾ける必要がありそうです。子どもは大人の鏡。こどもの日は、子どもをどう扱い、どう育てるのかを大人が真剣に考えなければならないような「大人の日」となってしまった。20年前に比べ子どもの背丈は確実に大きくなっているのに体力は減少している、という調査結果がある、と日本のテレビで報道していました。

昨日、書いたサマータイムでハワイの友人、旅行社を経営していたM氏からメールが来ました。ハワイ在住者らしいメールなので一部、ご紹介します。

<お話のサマータイム 導入云々の件 - 私はロスに滞在が13年でしたので、あまり気にもしないで、 夏時間を経験しておりましたが、 いざ、ハワイに来て、退職もして好き勝手な生活になってみると、ハワイ人や先住民の好きな、 自然主義が大好きです・・・やはり近代生活で、地球や環境に影響を与える生活になっているので、 カッコウつけて、環境に易しくのサマ- タイム導入などと騒いで居るのではないでしょうか? ハワイ人や、インデイアンのように、 太陽とともにおきて、 太陽とともに休む生活をしていれば、別に、 早起きする人は早起きすればよいわけで、 あまり、ハワイ人(浦島太郎?)にとっては、騒ぐことではありません。日本の国会や議員さんには、 もっともっと、大切なことを議論して欲しいと願って居るのは少し、ずれているでしょうか? 全く不要な、大都会のビルの電気など、 半分でも消灯したらあえて、夏時間制度などいらないのでは? とふと感じました。新宿や池袋、渋谷などの夜の電気などは、 本当に必要なのでしょうか? サマータイムを導入したら、どのくらいセーブできるという試算は出ているのでしょうか? 存分に議論されたら良いでしょう?
ハワイ村では、全く斯様な話は聞いたこともありませんので、 朝の太陽とともに起き、太陽とともに休むと考えて居るのではないでしょうかね? ハワイはあまり、 ベガスや東京のように、ネオンもあまり見ませんが、 導入損得勘定はどうなのでしょうか?
昨今の人災、天災の多さからは、 対大都市の地震津波対策、 台風対策、 何とかあのエネルギー を生かして人間生活に導入できないのか、 大雨をなんとか、 大瓶にためて世界の砂漠の緑地化とかできないのか? 火山などの地熱発電などの振興、 もっともっと環境を巧く人間生活に導入できないものか? 宇宙へ10年かかって行くことよりも、もっともっと大切な、 地球の50年後の食事問題、 エネルギー問題などなど、 世界の各首脳が知恵を絞って、お金を掛けて、地球の存続を研究すべきとかんがえますが、 京都議定書ひとつ履行できない、大国のエゴ。。。。。 夏時間導入は果たして大切なことなのでしょうか?>(2005年5月5日記)

Wednesday, May 04, 2005

北岡和義ブログ第14回 サマータイム導入論議に一言

北岡和義ブログ第14回は、いま国会で導入が検討されているサマータイムについてアメリカで生活している実感について書いてみます。こうした論議は生活者の声を聞くことが重要だと思います。

「サマータイム」はぼくの子どもころ日本でも実施されたことがあります(1948年から4年間)が、反対の声が多く、廃止されてしまいました。日本で言う「夏時間」、アメリカでは英語で「デイライト・セイビング・タイム」と言います。直訳すると「太陽光節約時間」とでも言うのでしょうか。導入のきっかけは経済効果が目的ではなかった、と思います。毎年4月第1日曜日午前2時から10月最終日曜日午前2時までがサマータイム。先月、4月2日にLAを発って帰国し、22日LAに戻ったら1時間早くなっていました。

実際に生活してみて不便とかがあるか、と言えば、長短はありますが、まあ、マイナーなこと。部屋中の時計や自動車の時計を時間調整しておかないと約束時間に遅れたりすることがあります。事実、渡米直後に野球の試合があって、指定のグランドに行ったのですが、誰もいない。最初、場所を間違ったのか、とキョトンとしましたが、その時は夏時間が終わっていたことを知らず1時間早く現場に行ったことが分りました。これが逆に4月、サマータイムが始まった時なら完全に1時間遅刻となります。

もし夏時間が導入されれば今のコンピューターのように、夏時間が来れば1時間時計を早めるよう自動調整するような時計が売り出され、それもまたビジネス・チャンスと言えるかもしれません。

アメリカでは州によって夏時間を導入していない州もあるので、旅をする時はちょっとややこしい。ケンタッキー州からオハイオ州へドライブした時、体験しました。時計の針を進めたり、遅らせたり。飛行機の時間に乗り遅れたりすることあり要注意です。最も日米間を往復する時は、17時間(標準時間、今は夏時間で16時間)の時差がありますからぼくをはじめ国際ビジネスマンらは常にこの時差調整をやっています。

しかし今回の日本の国会で論議されている導入論議は、昼が長い夏期間、早起きしてエネルギーを節約しよう、という主に環境保護の視点から検討されている、というところが時代を反映していて、面白い。言うまでもなく夏時間の導入で得をする業種と損する業種がでてきます。でも実際に何事も現実主義のアメリカの大部分の州が導入していて大きな不都合はなく、得することの方が多いと思います。

夏は1時間早く起きて、しかも会社が引けて帰宅しても未だ外が明るいのですから公園でキャッチボールもできるでしょう。確かに午後7時が過ぎても太陽光、燦燦、というのも戸惑うかも知れれませんが、人間慣れればそれもまた、楽しい季節の雰囲気。Golf好きな人ならカリフォルニアで1日3ラウンド回ることも可能になるのは夏時間だからです。ちなみにハワイ州は夏時間を実施していないのでご注意を。(2005年5月4日記)

Tuesday, May 03, 2005

北岡和義ブログ第13回憲法改正論議をアメリカで聞く

北岡和義ブログ第13回です。今朝早く、TBSテレビ「筑紫哲也のニュース23」で、憲法改正論議を聞きました。日本の国の形を問い直す憲法論議は、国際社会から逆に透して見ますと国連常任理事国入りの論議と重なって、重大な点が見落とされているように思えます。

ぼくは朝、目覚めるとまずノート・パソコンをベッドに持ち込んで日本のテレビを見ます。ワイヤレス・ランを敷いているので、どこでも日本のテレビ番組をインターネットでリアルタイムで見ることができるのです。

今は夏時間となりましたから日米の時差は16時間、LAが朝6時なら日本は午後10時です。7時になるとチャンネルをTBSに合わせます。渡米した以降も断片的にお会いしている筑紫哲也氏の番組「ニュース23」が始まっています。

スポーツ・ニュースにつづいて、憲法特集。日本国憲法とは何か。そう言えば日本は5月3日深夜です。関西人の主婦ら3人が憲法論議を追いかける、といったルポ風のVTRが回って、彼女らが国会に行き、自民党の船田元・衆議院議員議員、石破茂・前防衛庁長官に面会、自民党の改正案について訊く、といった筋立て。実際には訊いても彼女らは良く分からない。

番組はスタジオに代わって、評論家・立花隆と宮台真司というゲスト二人に筑紫キャスターが憲法改正論議を聞く。立花隆の「重要なのは9条ではなく、99条なのです」という指摘が光っていました。憲法論議となると非戦条項として必ず持ち上がるのが憲法第9条、武力放棄と現実には武力を持っている自衛隊の存在、という違憲状態が半世紀も続いているという非整合性です。

しかし立花氏は、99条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」という憲法遵守条項を語った。戦後、ごく一部の政権を例外として自民党の政権は、果たして日本国憲法を守って政治を運営してきたのかどうか。

自民党が提示した憲法改正案は「国民の責務」を盛り込むのだという。しかし憲法は国民が政治を行う内閣や立法府である国会に「憲法を遵守せよ」という国家に責任を負わせるためにあるのであって、自民党の改正案は逆である、という指摘がとても面白かった。

さて、読売新聞や産経新聞の社説には憲法改正に積極的な主張が目立つが、なぜ、今、憲法改正なのかを考えるとすぐ出てくるのは9条の非戦条項でしょう。もし、そこを自民党案が言うように「自衛のための武力を持つ」ことを正当化する条項に変えたら世界の反応はどうか。中国、韓国を引き合いに出すまでもなく、アジアを震源地に微妙な反日感情が地球に広がってゆくであろうことは予想できます。戦争は常に「正義」のための戦争であり、「自衛」のための名目のもとに銃火が火を吹いたのではなかったですか。竹島問題だって、あれは日本の領土だから守るのだ、と武力発動できることになりかねません。

日本の外務省はことしの秋の国連改革で、安全保障理事会の常任理事国入りを悲願として、アフリカ諸国などに活発な支持を求めるロビー活動を繰り広げているようですが、4月に中国各市で発生した反日デモと合わせて、日本への警戒心は、日本人が考える以上にアジア各国に強いと言うことを改めて思い起こしてほしいと思います。(2005年5月3日記)

Monday, May 02, 2005

北岡和義ブログ第12回伊集院静著『海峡』三部作

北岡和義ブログ第12回です。直木賞作家・伊集院静さんと自伝的小説『海峡』三部作が送られてきたいきさつ、因縁話を書きます。

4月22日、日本からロサンゼルスに戻ったら事務所に、どさっと本が届いていました。ジャーナリストという職業上、いろんな友人、知人から本が送られてくることはよくある事ですが、送られてきた本を見て驚きました。伊集院静さんの自伝的小説『海峡』三部作と吉川英治文学賞を受賞した『ごろごろ』、それにエッセイ集『めむりねこ』。積み上げられた本を見て、思わず小さく喚声を上げました。「読みたい」と言ったぼくを覚えていてくれたのです、伊集院さんが…。

旧臘、亡くなったジャーナリスト、本田靖春さんを偲ぶ会が2月25日夜、早稲田大学キャンパスのホテルで開かれ、初めて伊集院静さんにお会いしました。伊集院さんの『海峡』『春雷』『岬へ』三部作に登場したのが読売新聞大阪社会部で、関西新聞界で名声を博した黒田軍団の総帥・黒田清さん。黒田さんが逝って、そのお参りに愛弟子の大谷昭宏君と豊中のお宅にお邪魔した時、伊集院さんの作品と黒田さんの事を遺族の方から知らされたのです。

幸い成田空港の書店に伊集院さんの作品があったので買い、読みました。本ブログで、スラム出身のジャーナリスト、小板橋二郎さんの事を書きました(4月20日)が、この『海峡』三部作と梁石日著『血と骨』には日本社会の底辺で生きる差別された人々の生き様という共通のテーマが脈打っています。『海峡』三部作は長大な自伝的小説ですが、生きること、死の哀しみ、差別への怒りなど読むものに深い感動を呼び起こします。

いま、日本は飽食の時代、貧しさを知らない世代が社会の大半を占め、肥満に悩み、糖尿病や心臓病など生活習慣病と呼ばれる疾病に悩む人口が増え続けているのです。美味しいものを食べ、運動しない、いわゆる贅沢病なのです。かく言うぼくも昨年、日本で受けたドッグ入りの結果、糖尿病と診断され慌てています。親友の医者から節食と運動するようにしつっこく言われています。

ことしは太平洋戦争が終わって60年という年です。貧困に喘いだ時代が半世紀前の日本でした。ぼくの少年時代です。いまは豊かさが国民の健康を蝕んでいるのです。伊集院静と言えば美人女優・故夏目雅子さんの亭主と言う事しか知らなかったぼくですが、麻雀仲間だった大物歌手のマネジャーだった友人が伊集院さんと親しかったので身近に感じていました。そして・・・逝ってしまった読売新聞の先輩だった二人の名記者、黒田清、本田靖春先輩が伊集院さんを結びつけてくださったのだと感謝しています。

偲ぶ会に伊集院さんが来ていたので立ち話をしました。『海峡』三部作についての感想を話しましたら伊集院さんが「本を送りましょう」と約束してくださいました。そして約束通り、本がどっさりロサンゼルスに送られてきたのです。伊集院さんと飲みながら本田さん、黒田さんの思い出話をじっくりしたい、との熱い思いが急速に湧きあがってきました。(2005年5月2日記)

Sunday, May 01, 2005

北岡和義ブログ第11回LA蕎麦の会、囲碁大会

北岡和義ブログ第11回です。

4月30日、LAの湘南と言われるパロスベルデスに近い友人宅で、蕎麦打ちの会があり招かれて参加しました。頼まれてぼくが日本からそば粉を運びました。ケミカル会社を経営して最近、一線から退いた日本人経営者Sさん(70歳)が蕎麦打ちの面白さに嵌り、美味しい蕎麦を打つのにのめり込んでいるのです。(写真)

過去4回、彼の打った蕎麦を食べましたが、日本のどんな蕎麦屋さんにも負けない正真正銘の美味しい蕎麦を食べさせてくれます。みんなで持ち寄った手製の料理をつまみながらワインを飲み、打ち立ての蕎麦をその場で茹で、食べる。最高の贅沢です。

アメリカではいろんな料理を持ち寄って食べるのを「ポトラック・パーティ」と呼んでいますが、大抵はサラダ、ポテト、チキンといったものばかりでぼくら日本人が美味いと思われるものは期待薄。でもこのLA蕎打ちの会の持ち寄り昼食会は、カラスミや野菜の煮物、手製の塩辛、きゅうりの酢の物・・・と純粋の日本食がどんどん持ち込まれました。ぼくはルイジアナで採れるクロー・フィッシュ(アメリカ・ザリ蟹)をチャイナタウンのスーパーで買って、スチーマーで茹でて食べてもらいました。ニューオリンズへ行くと茹でたこのザリ蟹、たくさん食べられます。

ところで4月30日と5月1日、ダウンタウンのホテルでAGA(アメリカ囲碁協会)主催の囲碁大会が開かれ取材しました。108人のアメリカ人、中国人、韓国人らが参加して、碁を打ちます。大会にコンピューターを持ち込んで一石打つたびにコンピューターに入力する光景はいかにもアメリカ的ですが、日本、中国、韓国で盛んな囲碁はアメリカでも”囲碁オタクが”結構いて、全米の囲碁クラブはAGAにリストされているグループだけでも68もあります。

白人や中国人でAGA9段という人がいて、本当かどうか分りませんが、彼らに言わせるとレベルは高く日本棋院公認よりも強い、といいます。この大会には1年前、中国からアメリカへ来たシー・シンちゃんという小学校2年生の女の子(8歳)が囲碁を初めて1年で3段の腕前。白人の大男相手にピシリ打ち込んでいる光景は平和でユーモラスでもありました。

カリフォルニア州は真にアジアとアメリカの接点、東と西が出会う所です。ちなみに2000年センサス(国政調査)ではカリフォルニアの人口の25%がカリフォルニア州外で生れた移民一世で占められ、11%がアジア系です。蕎麦を食べ、囲碁を打つ光景を見る週末でしたが、これが2005年の現実、グローバル化はカリフォルニアがどの地域より先行しているではないでしょうか。(2005年5月1日記)