Friday, April 29, 2005

北岡和義ブログ第10回「国家の罠」続・政治化する検察

北岡和義ブログ第10回です。佐藤優著『国家の罠』(新潮社、写真)を今朝、読了しました。”外務省のラスプーチン”と呼ばれたロシア担当の国際情報分析官・佐藤優、ノンキャリアにこうした実力派がいたこと、驚嘆しています。
マスメディアでは元北海道・沖縄開発庁長官、元内閣官房副長官・”鈴木宗男代議士の腰巾着”とのレッテルが定着していますが、読んでみると日本の対ロシア外交の要として、活躍した骨のある外交官で、キャリア外交官に比べて、はるかに根性があるなかなかの人物と読みました。

日 本にとって北方四島の返還と日ロ平和条約の締結は、北朝鮮国交回復問題と合わせて、第二次世界大戦の戦後処理として最後の外交課題です。拉致問題は人道上 の問題ですが、四島返還要求は日本の国家の国益の問題で、次元が違います。すでに戦後60年という歳月が経過し、北方四島に定住しているロシア人が多数い て、より解決を複雑、困難にしています。

それを外務省は鈴木宗男と言う北海道の十勝地方を選挙区に、自民党内でも橋本派で豪腕を振るった 政治家を使い、佐藤をその右腕とした。二人は対ロ外交に没頭したが、一方で恫喝や傲慢な態度に終始し、外務省内で、幹部に恐れられ、役所仲間の反発を飼っ ていた事実については本書は、もちろん一言も触れていません。

検察の狙いは政治家・鈴木宗男と外務省高官にありました。佐藤の逮捕は、そ れを検証するための方便でした。しかし外務官僚は鈴木の排除を目的に佐藤をトカゲの尻尾として逃げ切り、日本の外交を壟断した二人の個人犯罪にでっち上げ る捜査に協力したことで外務省高官の責任追及をかわしたのです。国家機密を理由に証言を拒否した川口順子外務大臣の書簡が、佐藤・鈴木切捨て(有罪)に重 きをなしています。川口はもともと通産(今は経産)官僚ですが、高級官僚の保身に大臣権力を使い、政治家の国民に対する責任を果たさない姿勢は読者を暗澹 とさせます。

国家体制そのものである裁判所も検察の論理を全面的に認め、彼らを有罪と判決した政治裁判であることを鋭く、かつ論理的に主 張しています。興味深いのは著者は「国策捜査」という主任検事の言葉を捉えて検察の政治化を指弾していますが、「政治裁判」とは書いていません。それは高 裁での攻防が未だ残っているから裁判官の心証を悪くしない、という判断が働いているからでしょう。高裁で、司法に忠実な裁判官の訴訟指揮で、無罪を勝ち取 る可能性が残されている、との期待感を棄てないでいるのかもしれません。この書を読むと検察の政治化、官僚国家の本質的なものが見えてきます。

ロ サンゼルスで性格の異なる何人もの外交官と付き合ってきたぼくとしては、とても面白い読み物でした。かつ検察の政治化に悪乗りして、捜査のリークをまるで 特ダネのように書きまくった新聞記者たちが権力のイヌに見え、政治検察を批判できないでいるメディア状況に民主主義の危機を実感します。(2005年4月 29日記)

Wednesday, April 27, 2005

北岡和義ブログ第9回「国家の罠」政治化する検察

北岡和義ブログ第9回です。4月21日東京・四谷で石川好氏を訪ねた。いまは公立秋田芸術大学学長だが、もともとフリーでアメリカについて書いていた評論家である。自己の青春体験記とも言うべき『ストロベリーロード』で大宅ノンフィクション賞を射止めた。彼の評論は切り口が鋭く、論理展開も巧妙で瞬く間にメディア界の寵児となった。 彼との交遊も4半世紀に及ぶ。ロサンゼルスで出会った最も古い友人の一人である。

25年前、ロサンゼルスの小さな週刊新聞の編集部長をしていたぼくを江戸期の枕本(春本)の複製本を携えて、訪ねてきた。彼の話は抜群に面白く意気投合した。記憶力も天才的で、日系移民史にやたらと詳しい。根っからの野人で不思議な魅力の人格だが、当時はロサンゼルスの西郊、ウエスト・コビーナで日本語の本屋をやっていた。しかしアメリカ社会のど真ん中で日本語の本が売れるはずがない。食えないのでガーデナという家庭を回って庭の芝生を刈り、糊口を凌いでいた。

一時は国会をめざしたことがある。いま、中国やインドの高官に人脈があり視線は中国である。その石川氏が佐藤優著『国家の罠』(新潮社)を読め、と勧めた。”外務省のラスプーチン”と呼ばれた対ロシアの情報屋で、議員を失脚した元内閣官房副長官・鈴木宗男にぴったり寄り添い権勢を誇った。その佐藤が逮捕され、検察に背任罪をでっち上げられていった取調べの過程を実に詳しく、リアルに再現している。

国策捜査という言葉が使われ、検事が政治化している内実を暴露して面白い。そして汚職や違法行為の垣根が低くなってきている時代の変化を検事とのやり取りで書き、国家権力とは何か、外交とは?国益とは?を拘束された囚人の立場から描いて、超一流の読み物となっている。そして日本の官憲がテレビのワイドショーに翻弄される実態を鮮やかに浮かび上がらせている。国家を検察官が動かしている?いつ検察ファッショ化するか、危険だ。マスメディアはそこを衝かない。ご一読を。(2005年4月27日記)

Tuesday, April 26, 2005

北岡和義第8回ブログ「中国の反日デモの仕掛け人」

第8回北岡和義ブログです。東京・四谷で、いまはアカデミアの世界にいるジャーナリストの友人と会った。彼はもともとアメリカで青春期を送ったことから英語も上手く、米国通ジャーナリストとして数々の発言をしていた。ところがいつの間にか中国通となり、何度も訪中。中国要人との人脈もある。

桜で満開の4月、唐突に発生した中国の反日デモの背景は何か。ニュースを見ている限りぼくは、中国共産党か中国政府の官製デモではないか、との疑念を抱いていた。しかし友人は言う。「デモの仕掛け人はアメリカだ。アメリカ人がインターネットを通じて煽った」との見方。

日本と中国が密接になることを一番警戒しているのがアメリカだ、というのが彼の見方。確かにアメリカには100万人を超える中国人、中国系アメリカ人がいる。2、3年前、日本軍の捕虜虐待や従軍慰安婦、強制労働などの戦争犯罪を告発し、法廷闘争に持ち込んだ人々の中心は彼ら中国人、中国系アメリカ人だった。

これに対し台湾の対岸、アモイの工場でエレクトロニクス製品を開発、製造している日本人の友人はインターネットで反論してきた。「いま、インターネットをコントロールする技術が一番進んでいるのが中国ですよ。中国では朝日ドットコムは読めても読売のウエブサイトは読めなくなっているのです。反中的な言論は政府がストップを掛けている」だからアメリカが仕掛けた、ということはまず無いと思う、という趣旨のメールだった。

実際に「ONI によると、中国政府は、政府機関、公人、および民間人からなる精巧なシステムを構築して、インターネット上の情報へのアクセスを制御しているという」。ONIとはOpenNet Initiative で、ハーバード大 (米国)、トロント大 (カナダ)、ケンブリッジ大 (英国) の3校が行なっている共同プロジェクトである。

<中国は、世界一人口が多く、インターネットユーザーもアメリカに次ぎ世界で2番目に多い。ONI の調査では、同国政府が「制限対象情報」の流れを取り締まるために、ありとあらゆる手段をとっていることが明らかになった>

<ONI の調査は、ポルノや宗教的なコンテンツ、および政治的な反対意見など、中国政府当局にとって「扱いに注意を要する」広範なコンテンツへのアクセス防止のために同国政府が行なっている対策も実際に確認した>

この情報を伝えたのはウエブ・ニュースである。 http://japan.internet.com/mail/newsletters.htmlマスメディアの特派員電と読み比べるととても興味深い。

ソ連崩壊に繋がったのがFaxによる西側情報だった、とか、1989年の天安門事件のとき、厳しく情報統制した中国政府だったが、民衆が真相を知ったのはアメリカからのFaxだった、と言われている。さて、今回、インターネットはどんな役割を果たしたのか。

そんな疑問を感じているところへニューヨークから入ったメールは「デモ参加の呼びかけに功を奏した最大のツールは、携帯電話のeメールとインスタント・メッセージであった、と4月24日付けのニューヨーク・タイムズ紙は報じた」EBPassの森健次郎発信のメルマガである。

いま、中国では携帯電話の普及が急速に拡大し、世界一の携帯電話国家となっているという。デモの動員に使われたのが携帯電話だとすると政府や共産党が情報操作不能だろう。

「今回の事件は、「学生やブルジョワ層への、火付け役としてインターネットを国が使い、学生達が、携帯電話でデモ参加に、誘い合った可能性」は理解出来ます。(今回のデモが、ITを利用して行われた訳ですから、少なくとも、農村の貧困部の不満は、背景に無いと思います。)」という中国で生産現場にいる友人の見方がこそ新鮮だった。(2005年4月26日記)

Thursday, April 21, 2005

北岡和義ブログ第7回「自転車で都心快走」

北岡和義ブログ第8回は、都心を走ると日本の行政の貧困が目立つお話。21日、東京都心を自転車で快走した。日本の中心、日本橋から丸の内へ行き、歩道脇に停めておいたら「駐輪違反」の紙が貼られていた。霞ヶ関の農水省に行ったら構内に自転車を停めるところはない、と衛視はすげない。

お堀端の新緑が眩しい。最高裁前の三宅坂を右折して四谷へ。都心を走っている自転車はけっこう多い。多くは歩道を走るから歩いている人を避けながらスイスイ。4月の季節は日本が最も美しい季節。地下鉄にもぐるより健康的で気持ちがいい。いい運動にもなる。

しかも、しかもである。自転車は環境にもっとも優しい。転んでもまあ、膝を打つ程度で済む。都心へのマイカー乗り入れを原則禁止、シンガポールのように都心乗り入れ税を徴収して、その金で自転車道や駐輪場を整備したらどうか。都心自体の渋滞緩和、空気の汚れを減らす事ができる。

丸の内や霞ヶ関には自転車を停めるくらいの場所はある。なのになぜ、駐輪禁止なのか。行政や警察のやることが分からない。なにしろ日本はほとんど意味の無い「禁止事項」が多すぎる。ニューヨークなどでは絶対ない、駅構内のアナウンスや新幹線車内で携帯を使うな、といった規制にはうんざりする。

日本橋~丸の内~八重洲~霞ヶ関~四谷~麹町~永田町~丸の内~日本橋と走り回り、疲れた。(当たり前か)今日、lA向けて発つ。着いたら空港から記者会見へ。夜も会食が予定されている。ルンペン・ジャーナリスト、北岡和義、63歳、まだまだ働くぞ。(2005年4月22日記)

Wednesday, April 20, 2005

北岡和義ブログ第6回「スラム出身の記者」

北岡和義ブログ第6回は、スラム出身のジャーナリストの話です。
上野で小板橋二郎氏に会った。20年余ぶりの再会である。かれはフリーランスのジャーナリストである。いや、「ジャーナリストだった」、と過去形で書くべきかもしれない。彼はもう、原稿を書いていない。メディアの世界から完全に引退したのである。

25年以上も前の話である。渡米前の1970年代半ば、ぼくが社会党の国会議員の秘書を辞め、ジャーナリズムの世界に戻ったとき編集者の紹介で彼と会い意気投合した。故草柳大蔵の門下生で週刊誌を中心に書いていた。彼は「貴稿会」という若手のフリーランスの無名記者を集め勉強会をしていた。

常連に山根一眞、猪瀬直樹、佐野真一ら後年、大宅賞を取ったり、NHKのキャスターをやったり、ジャーナリズムの世界で、頂点に立つような存在になった人材がいた。愛知万博でプロデューサーをやった山根一眞は小板橋氏を「師匠」と呼んでいる。異色のグループだった。

今回、彼に会うきっかけとなったのはTVキャスター・田原総一朗氏の夫人、節子さんの死である。”風が吹けば桶屋が儲かる風”の話だが、渡米前、日本ジャーナリスト・クラブというのグループがあって、田原氏や当時、日本テレビのアナウンサーだった村上節子夫人はメンバーだった。

昨年、節子さんが亡くなって彼女の癌闘病記が出版されたが、その本を手伝ったのが、小板橋氏と共通の友人、女性ジャーナリストだった。 節子さんの本の後書きでその事実を知り、アメリカから電話して長々と昔話をしていて、小板橋氏の引退を知ったのである。

失明、両足切断という身体で病床で、死ぬまで原稿を書き続けた本田靖春氏の遺稿『我、拗ね者として生涯を閉ず』(講談社)を読んで感動した後だったので、小板橋氏の引退話には驚いた。湯島に住んで毎日、上野を犬と散歩している、というので、懐かしくなり訪ねた。

彼は1993年にスラムに住んでいた自伝的ドキュメンタリー『ふるさとは貧民窟(スラム)なりき』(ちくま書房)という本を書いた。東京・板橋の岩の坂のスラムで生まれ育ち、喧嘩の強い子どもだったという。この本は、敗戦直後の日本人の貧困がどういう状況だったのか、リアルに再現している。

しかもスラムの人たちに投げかけられた偏見と差別、蔑視の視線を浴びながら育った少年期の逞しい生き方は、伊集院静の自伝的小説、『海峡』、『春雷』、『岬へ』の三部作や、梁石日の『血と骨』に通じるものがある。日本で差別された在日朝鮮人の凄まじいエネルギーと憤怒の歴史を知るべきだ。

飲むたびに「自分は貧民窟で生まれ育った」と語り、ぼくが新聞記者出身だったことをあげつらって、大新聞に対する批判を繰り返した。時には怒り、「大新聞記者の傲慢」を罵倒した。でも一度も喧嘩した事はない。なぜか嫌味のない爽やかな批判なのである。スラムは楽しくいかにも人間的だったという。

いま、飽食の時代、若い人、取り分けメディアに働く人に読んで欲しい書である。池之端で会食し、上野公園を散策しながら彼の引退生活がどんなに楽しいものか、晴れ晴れと語る彼の表情にかつての険しい巨大メディアに対する憤怒の情が消えていた。意外感と同時に25年間の故国の変化を実感した。(2005年4月21日記)

Tuesday, April 19, 2005

北岡和義ブログ第5回「日本の中心に拠点」

北岡和義ブログ第5回です。日本の中心は東京・日本橋。橋のすぐ脇に日本道路元票があります。4月3日、そこから数百メートルの日本橋人形町に拠点を作りました。どなたもぜひ、近くに来たらお立ち寄りください。東京駅から車で5分、歩いても約20分、地下鉄人形町駅から45歩、30秒の距離。人形町は江戸の下町の雰囲気を残す生活感のある町です。

これからロサンゼルスと東京を拠点に真にグローバル社会への一歩を踏み出したいと思います。10日から16日まで、名古屋~大阪~広島~萩~博多~広島~大阪~小淵沢を回ってきました。いま、中国で行われている反日デモについては近くコメントをブログで書きます。政治臭ふんぷんの反日デモ、戦争責任をきちんと論じてこなかったツケがいま、回ってきたのではないか、と考えています。(2005年4月19日記)

Sunday, April 17, 2005

北岡和義ブログ第4回<愛・地球博>を取材

北岡和義ブログ第4回です。3月25日オープンしました「愛・地球博」を取材しました。開幕からの出足はあまり良くなく、4月10日、ようやく入場者累計で100万人を突破しました。1日平均58,000人で当初計画の80,000人には及びません。
シベリアの凍土から発掘されたマンモスを冷凍の部屋で見せているのはなかなか迫力があります。1万8000年前のマンモスを見て、氷河期の生き物を目の当たりにできる、というのは凄い。しかもこのマンモス、肉もちゃんと付いているのです。
また、人類最古の頭蓋骨や大阪万博で人気だった月の石も展示されています。
人気は、トヨタ館のロボットの演奏や未来型パーソナル・カーのショー、日立館のバーチャルリアリティ技術で希少動物とのバーチャル・コンタクト(バナナを投げると猿が拾う、手を差し出すと小鳥が飛んできて手の平に乗る・・・など)。海水の鯛と淡水の鯉が同じ水槽で泳いでいる、光景には目を剥いた~など最先端技術を駆使した出し物は流石に面白かった。
ただ、万博事務局の役人体質にはうんざり。広報体制がばらばらで、メディア対応がなっていない。しかも2週間前に郵送で申し込め、とか、外務省の認証を添付しろとか、顔写真をフロッピイに入れて郵送しろ、とか、実に訳のわからない手続きで手間取った。アメリカではe-mailでOK.日本はなぜ?e-mailで送れるようにできないのか。理解に苦しむ。
<愛・地球博>は2005年9月25日まで。(2005年4月18日記)

Saturday, April 02, 2005

北岡和義ブログ第3回「日本のこれから」をロサンゼルスで見て

北岡和義ブログ第3回です。
4月2日早朝、NHKが新番組として始めた「日本のこれから」というスタジオ討論番組をインターネットで見た。日本で格差が広がっている、という問題がテーマである。注目のホリエモンこと堀江貴文ライブドア社長も出演していた。フリーターと呼ばれる若者が議論の対象となっていたが、概ね日本の社会は昔より状況が悪くなっている、との認識が多数派だった。
4月1日、祝日法が衆議院を通過し、4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」、5月4日「国民の休日」を「みどりの日」とする、という法案の中身だが、問題は労働時間の変化である。
IT技術の進歩とインターネットの普及で、ぼくはロサンゼルスで日本の番組を無料で見ることができるし、国際電話をタダでかけることもできる。ビデオ会議もほとんどお金がかからない。
しかし、それで労働時間が減って生活が楽になったか、豊かになったか、と問えば事態は逆である。便利になったその分だけ、忙しくなり、朝と言わず夜と言わず、メールのやり取りは24時間体制で、ノートパソコ無しでは仕事にならない。実質、労働時間は圧倒的に増えているのである。
「SOHO」(スモール・オフィス、ホーム・オフィス)という言葉も目新しくなくなったが、自宅で仕事ができるということは1日中、仕事している、という状態が続いているわけで、果たしてこれで幸福なのだろうか。スタジオ収録の際、自省をこめコメントした。(2005年4月2日記)
今日はこれから空港に向かい、日航機で帰国。4月17日まで日本です。愛知万博も取材します。この間、東京~名古屋~大阪~山口県萩市~博多~広島~小淵沢と動きます。(2005年4月2日記)