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Friday, June 03, 2005

北岡和義 ブログ34回 普賢岳噴火から14年、髭の市長は講演954回

北岡和義 ブログ第34回です。 普賢岳噴火から14年、日本のテレビが報じて、”髭の市長”として有名になった元島原市長・鐘ヶ江菅一氏をインターネットの映像で見ました。懐かしくなり、国際電話して鐘ヶ江さんと話しました。久しぶりでしたが、張りのある声で10年も先輩とは思えない元気でした。

普賢岳噴火、特に火砕流で亡くなった犠牲者は43人。当時、島原市長だった鐘ヶ江さんは、噴火の現場へ向う途中、腰が痛くてマッサージを受けようと信号で止まった時、突如、運転手に行き先変更を指示して、火砕流に呑まれることなく助かった、という強運の持ち主です。

普賢岳噴火の際、市長として先頭に立ち、住民の安全のため大活躍、一躍、そのリーダシップぶりが危機管理の専門家として有名になりました。1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生して危機管理に関心が集まり、ぼくはロサンゼルスで危機管理をテーマにしたシンポジウムを企画しました。

そのイベントに鐘ヶ江さんと友人のジャーナリスト・大谷昭宏君を招聘したのです。鐘ヶ江さんは実直なお人柄で、普賢岳噴火直後の住民の安全について訥々と語ってくださいました。噴火災害があった後、講演依頼が殺到し、昨日6月3日、島原警察署で954回目の講演をこなしたそうです。

普賢岳は今も時々、白煙をあげるそうで、噴火の際、噴出した溶岩が盛り上がって固まり、平成新山となりました。もちろん日本で最も新しい山で、長崎県で一番高い山となりました。「貴重な観光資源ですね」というと最近の観光客は海外へ行ってしまい、長崎を訪れる人は年々減っている、という話でした。
曹洞宗の信徒会である宗門護持会の会長を5期、危機管理の講演行脚を続ける鐘ヶ江さんは、元は旅館のオヤジでした。名市長として辣腕をふるいながら噴火が収まってすぐ、市長の座を降りました。1市16町だった島原半島は町村合併で来年、3市に統合されます。

鐘ヶ江さんが市長だったら1市に統合できたのではないか、と引退を惜しむ声が今なお地元で聞こえますが、ご本人は全国から頼まれる講演行脚にでかけ、奥さん連れてクルーズを楽しんでおられるそうです。「(噴火で)一度は死んだ身、死ぬまで皆さんのお役に立てたい」という”髭の市長”は74歳。

長電話でしたが、まさに”元気”をいただきました。今月も3回講演予定が入っていて、東京で会おうと言う事になりました。ぼくは仕事柄、総理大臣から各省大臣、国会議員、知事、都道府県会議員、末端の町長、村長まで多くの政治家を知っていますが、鐘ヶ江さんは一番好きな政治家です。(2005年6月3日記)

1 Comments:

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