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Thursday, June 02, 2005

北岡和義ブログ第33回 MahoNET-21が解散へ

北岡和義ブログ第33回です。日本からの郵便で 「MahoNET-21」が解散したことを知りました。運動のリーダー格の清水透氏の挨拶状でした。骨髄移植の登録推進を呼びかけたこの運動、10年の歳月を経て、20,000人ていどだった骨髄バンクのドナー登録者が現在では26万人の達し、骨髄移植症例も6,000例を越えた、と清水氏の手紙にあります。

血液の癌と言われる白血病の唯一の救命治療法として他人の骨髄を患者に移植する手術があります。ところが移植手術には骨髄の提供者(ドナー)が必要で、ドナー登録の数が現実に移植手術の可否を決定することになります。清水氏の娘さん、真帆さんが急性骨髄性白血病を発病したのが1993年2月で、その年7月22日に骨髄バンクを支える大学・市民ネットワークとして「MahoNET-21」が発足しました。

病床からこのネットワークを広げる運動を提唱した真帆さんは95年2月26日、阪神・淡路大震災で日本中が大騒ぎしている最中、23歳で骨髄移植を受けることなく永久の眠りにつきました。彼女の遺志を継いだ父親の清水氏が骨髄登録運動を継承し、知人の紹介でロサンゼルスにぼくを訪ねてくださいました。骨髄登録を推進することを目的とした演劇「友情」ロサンゼルス公演の協力要請でした。

ぼくが若い新聞記者だった1968年8月8日、札幌医大で日本初の心臓移植手術が和田寿郎教授の執刀のもとに行われ、教育・大学を担当していたぼくは新聞記者として和田心臓移植を取材し、移植医療という先端医療技術を懸命に勉強しました。ですから清水氏が骨髄ドナーの登録運動をやっている、という話はよく理解でき、番組で取り上げ報道しました。

「友情」のLA公演は多くの感激を残して成功しましたが、一方で営業的には大変な赤字だったと仄聞しています。当地の日系コミュニティが支援したのですが、経費を賄うだけのチケットの売り上げにはならなかったようです。この運動は移植ドナーの登録者がアメリカに比べ圧倒的に少なかったのを清水真帆さん父娘の運動が全国の大学、団体に訴えて、大きな広がりとなっていったのです。

公演をきっかけにぼくは清水氏と刎頚の交わりを続けています。清水氏は本職、慶応義塾大学教授で、専門はメキシコ・チャパスのインディオの研究と言う、とても刺激的なテーマでした。清水教授は、四半世紀にわたり何回もメキシコを訪れ、調査し少数民族の研究を続けてこられました。アカデミアの世界にいる清水氏が骨髄ドナー登録運動という全く畑違いのNPOに精力を費やしたのも不治の病に冒された娘さん、彼女の命を救えなかった父親としての無念の想いが運動へのめりこんだ動因でした。

物静かで温厚な人柄のメキシコ少数民族の研究者である初老にさしかかった学究が、全国各地を回り、募金や登録を呼びかけ、東奔西走しました。運動の過程ではいろんな誹謗中傷や思わぬ妨害もあったのではなかったか、と想像しています。私費を投じてロサンゼルスにまでやってきて、運動の支持を訴えた熱意には改めて敬意を表したいと思います。

「長く続けてこられました運動、本当にご苦労様でした。これからは静かにご本業の研究に没頭してください。メキシコへ現地調査にいらっしゃる途中、ロサンゼルスに立ち寄れる機会あればいっぱい飲みながらゆっくり真帆さんの思い出をお聞きしましょう」

ぼくはそんな趣旨のメールを送りました。(2005年6月2日記)

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