Send via SMS

Wednesday, June 01, 2005

北岡和義ブログ第32回 権力の犯罪を告発したディープスロート

北岡和義ブログ第32回 です。「大統領の陰謀」を暴いた『ワシントン・ポスト』紙記者、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン。若かった二人の記者によるウオーターゲート事件のスクープ、調査報道は、今や世界のジャーナリストの教科書のようになっていますが、その情報源”ディープスロート”が名乗り出てニュースとなっています。元FBI(連邦捜査局)のNo.2だったマーク・フェルト副長官(91歳)が「私がディープスロートと呼ばれた男」と月刊誌『バニティ・フェア』で明らかにしたのです。

権力の犯罪を暴いた二人の記者の報道は、第37代米国大統領、リチャード・ニクソンを辞任に追い込んだこの事件、”ペンが剣より強かった”ことを証明するジャーナリズムの歴史に輝かしい金字塔をうち立てたことは周知の事実でしょう。情報源がFBIというまさに権力トップの座にいた人物の確信犯だったことの衝撃です。

ぼくはTK生のことを思い出します。クーデタで大統領となった朴正煕の独裁時代、TK生という匿名の韓国通信が岩波書店発行の『世界』に連載され、新書にもなりました。言論弾圧の激しかった1973年5月号から88年3月号まで15年間、暗い韓国における民主化運動、一方で権力による弾圧の真相を伝える貴重な情報としてベストセラーになりました。在日韓国人学生、徐勝君や抵抗の詩人、金芝河ら反権力知識人や学生がKCIAという権力の暴力装置に捕らえられ拷問されたその時代、ぼくは韓国を訪れ、徐勝君を救う運動をしていた早稲田大学生に頼まれ、太田市の刑務所に差し入れを送ったことがあります。 渡米1年前の話です。

TK生から原稿を受け取っていた『世界』編集長、安江良介氏(後に岩波書店社長、故人)はぼくも断続的にお付き合いいただいたジャーナリストの大先輩ですが、亡くなるまで、TK生が誰であるか、明らかにしませんでした。そして2003年、突如、「私がTK生でした」と韓国の歴史学者、池明観(チ・ミョングアン)さんが名乗り出たのです。

今、日本は民衆レベルで「冬のソナタ」のヒットが呼ぶ韓流ブーム、一方、政治の世界では竹島問題で鋭く対立という複雑微妙な日韓の構図ですが、最早、池さんが弾圧されることはないでしょう。30年という年月はホワイトハウスや青瓦台、永田町を変えました。権力の動向を取材、報道し、時には対決するジャーナリズムが残念ながら色褪せています。読売新聞の社長だった渡邉恒雄やNHK会長の島桂次(故人)、海老沢勝二に反権力ジャーナリストの毛の1本も無く、経営体質は権力べったりで、彼らの体質こそ今の日本のメディア状況ではないか、と暗然たる思いです。

ボブ・ウッドワードはぼくより2年若い記者で、イエール大学を卒業、ワシントン・ポストの社会部記者としてウォーターゲート事件をスクープ、1973年ピュリツアー賞に輝きました。ウッドワードは現在、ワシントン・ポスト紙編集局次長。2003年、「ブッシュの戦争」(邦訳、2003年2月、日本経済新聞社刊)を書きました。2001年の911テロ以後3ヶ月のホワイトハウスの政策決定過程の内幕を丁寧に検証し、なぜ、アフガン、イラク戦争なのか、を描いているこの本は、アメリカのジャーナリズムが健全で、まだまだパワーを有していることを実感させます。

30年余経った今、ディープスロートもTK生も人生第4コーナーを回ってしまったのですが、歴史を作った彼らと歴史を捏造してしまうジャーナリズムと。日米のジャーナリズム状況を比較してみると時代とは、進歩だけでなく退歩もあるのだという事を実感させるニュースでした。元毎日新聞の西山太吉記者がこの4月、国家を訴えました。「国家の罠」に記者人生を葬られた西山記者の反権力闘争の復活についてはぼくの人生とかすかに交差することもあり、詳しく書きたいといま、資料を集めています。(2005年6月1日記)

0 Comments:

Post a Comment

<< Home