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Wednesday, May 11, 2005

北岡和義ブログ20回続・ナチ戦勝記念日LAで日系兵士顕彰

北岡和義ブログ第20回です。昨日に引き続き日系アメリカ人兵士がドイツでナチの強制収用所からユダヤ人を救出したお話。今回は顕彰された元日系兵士、ジョージ・イシハラ上等兵(84歳、写真)のインタビューについて書きます。

5月10日11時過ぎ、トーランスの米国トヨタ本社でのアポイントを終え、フリーウエイ405号を北上して、フリーウエイ10番に乗り換え、センチネラで降りた所にイシハラさんのお宅がありました。空は青く澄んで、雲ひとつ無いカリフォルニア、真っ赤なパイビスカスが初夏の雰囲気を告げています。

前回、書きました日系二世部隊「442連隊」に522野戦大砲大隊があり、ジョージ・イシハラ上等兵はそこでトラックの運転手をしていました。ワシントン州生まれの日系二世(家系は熊本)で、ルーズベルトの大統領特別行政命令9066号で、アメリカ人でありながらアイダホ州ミニドカ日系人強制収容所に入れられ、志願してヨーロッパ戦線に行きました。

「(自分が)アメリカ人であることを証明するために志願した」とイシハラさんは言います。野砲大隊は、1945年4月末ころ南フランスからドイツ領に侵攻、敗走するドイツ軍を追ってミュンヘン郊外のダッハウ(英語読みではダッカウ)強制収用所に入りました。すでにドイツ軍は一人残らず逃げて、収容されていたユダヤ人が縦じまの囚人服を着せられていたのを発見しました。多くは栄養失調で食べるものが無く、病んでいた囚人も多かった。所内で馬の骨を見たが、それは食べるものが無く、友人たちが馬を殺して食べた跡に違いない、と思った、とイシハラさんの話です。

最初、ユダヤ人は野砲大隊の大半が日本人の顔をしていたことに驚き、敵兵だと観念したそうですが、アメリカの軍服を着ていて、アメリカ人だとわかり救出を喜んだそうです。イシハラさんは5月8日、ロサンゼルスの寛容博物館前で行われた顕彰パレード、式典に参加しましたが、祖国アメリカのために戦った誇りを今も抱きつつ、若い日系四世や五世の世代には教育が最も大切と強調しました。

イシハラ上等兵ら野砲大隊の日系人兵士らが最初にユダヤ人を強制収用所から救出したドイツ体験は長く秘密とされていました。全て白人兵士が救出した、という話になっていた、というのです。人種差別が戦後も続いていたという事実に驚きます。名誉回復したのはクリントン大統領の時です。

もう日系兵士にとって「もう一つの戦争」と言われた人種差別との戦いは最近まで続いていた、ということを日本にいる日本人は知らないでしょう。イシハラさんは元気で優しい元兵士でした。戦後はマクダネル・ダグラス社で飛行機の検査技師として35年働いたイシハラさんは今は多くの孫に囲まれて平和な生活をサンタモニカで送っています。医者やPh.D.(哲学博士絵)を取得している血縁がいることもイシハラさんの誇りです。(2005年5月11日記)

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