Friday, August 05, 2005

北岡和義ブログ第45回 ヒロシマ・還暦の鎮魂歌


北岡和義ブログ第45回です。 摂氏30度を越えるうだる暑さの広島市平和祈念公園、午前8時15分。平和の鐘が鳴響き、黙祷する5万5000人の人々をテレビが中継で映し出しています。 小泉首相も黙祷しています。ヒロシマ・ナガサキの被爆が還暦を迎えました。鎮魂の日、秋葉忠利広島市長が平和宣言、被爆者の孫の代のこども代表、岩田雅之君と黒谷栞さんの「平和の誓い」が力強く読み上げられました。暑い朝の広島を襲った地獄の惨劇から60年経ちました。

人類唯一の原子爆弾による被爆国・ニッポン。広島が「ヒロシマ」となって被爆体験が還暦迎えても「核廃絶」はおろか「核兵器廃絶」さえ、未だ実現できないでいます。皮肉な事に北京では北朝鮮の核をめぐって6者協議が続いていますが、共同声明がまとまりません。人間とは本当に”業”の動物です。

昨夜(5日)TBSが被爆60周年の特別ドキュメントを3時間、放送しましたが、広島に「リトル・ボーイ」というふざけた名の原子爆弾を落とし、その恐ろしい瞬間を撮影したアメリカ人が語っていました。
「謝る気なんかありません。だって”リメンバー・パールハーバー”ですよ」と、被爆者に向って・・・。

こういうアメリカ人がいる限りテロは無くならない。そしてアメリカ人の7割が原爆投下を指令したトルーマン大統領の決断は正しかった、と未だに信じているのです。日本にもいます。太平洋戦争は正しかった、と主張して已まない人たち。靖国参拝とは優れて現代的問題です。 被爆体験と表裏の関係。

昨夜、銀座で沖縄密約事件の関係者とジャーナリスト仲間9人で飲みました。沖縄密約は33年前の事件ですが、封印されていた事件を当事者が破りました。最高裁で有罪となった毎日新聞記者、西山太吉氏が謝罪を求め、国家を唄えました。西山提訴に敏感に反応した若いジャーナリストがいます。

事件の当事者の直近にいたぼくにとっても決して忘れられない大事件でした。沖縄はこの協定で現在まで苦しみが続いています。しかも米軍の世界的再編を迎えている今、沖縄の基地再編と関連して、これまた極めて現代的課題なのです。優れたジャーナリストと語り合うとき、生気が蘇ります。

被爆体験も靖国問題も沖縄密約も何一つ変わっていない風景の60年、国会はいよいよ郵政民営化法案に決着。8日、参議院本会議で投票、今のところ否決の可能性大と報じられ、国会周辺には熱風の解散風が吹いています。解散となれば自民党は分裂します。真夏の大政局です。(2005年8月6日記)

Saturday, July 23, 2005

北岡和義ブログ第44回  桐山勝著「マスコミの現場」


北岡和義ブログ第44回です。1980年代初頭、日経のロサンゼルス特派員だった桐山勝氏と日本橋の日経CNBCで会いました。日経では流通業界に詳しい記者で、日経BPでは『日経ギフト』という雑誌の編集長、その後テレビ大阪報道局長、日経CNBC社長をやって今は引退したマルチ・タレントのジャーナリストです。この春、『マスコミの現場』を発刊、早くも2刷りがでたそうです。

駆け出しは社会部記者で、後に政治部に移り、流通経済部で小売りや外食産業を取材しました。記者時代からLA特派員、出版局、テレビ大阪と日経記者にしては多種の仕事をこなした器用な人材だが。人なっつっこい人柄が取材先で受け入れられたのだろう。人脈は幅広い。

記者生活を通した失敗談や特だねの話はやはり面白い。記者とは本当に役得だと思います。特派員時代、ロス疑惑について書いているが、その中にはぼくも実名で登場します。ジャーナリストをめざす若い人への桐山記者のメッセージでもあり、一読をお勧めします。(2005年7月23日記、写真は浦和在住、中条石さん撮影)

Saturday, July 16, 2005

北岡和義ブログ第43回 田原総一朗自選集出版記念会


北岡和義ブログ第43回です。7月14日夜、東京・全日空ホテルで 田原総一朗自選集出版記念パーティが開かれました。田原さん、1934年滋賀県彦根市生まれ、71歳。昨年、節子夫人を亡くした田原さんですが、大変元気で新雑誌・田原総一朗責任編集『オフレコ!』を発刊しました。

パーティには安倍晋三自民党幹事長代理(写真、左)、谷垣禎一財務相、加藤紘一元自民党幹事長をはじめ小沢一郎(民主党)、神崎武法(公明党)、福島みずほ(社民党)ら与野党のトップ政治家が顔を見せ、改めてメディアと政界との密接な人間関係を実感しました。 共産党幹部も来ていたかなあ?

もちろん筑紫哲也、田丸みすず、猪瀬直樹、高野孟ら多士済々のテレビの出演者や著名なジャーナリストが会場を埋め、華やかな雰囲気にしていました。自選集は全5巻で、第一回は「政治と権力のカラクリ」、二段組693ページという分厚い本です。

田原さんは早稲田大学文学部を7年かけて卒業後、岩波映画製作所に入社、64年東京12チャンネル開局とともに移り、「ドキュメンタリー青春」など優れた番組を制作したディレクターです。桃井かおりという女優を最初に起用した映画監督でもありました。

77年フリーになって活字、テレビの両世界で活躍、今やテレビ朝日『サンデープロジェクト』と『朝まで生テレビ』のキャスターとしてテレビの硬派の討論番組では第一人者としての実力ジャーナリストとなって毎週、政治家や時の話題の中心人物をスタジオに呼び込んでいます。

ぼくは渡米前、1973年末に国会の衆議院議員事務所を去り、フリーのジャーナリストに戻りました。そしてJCCというジャーナリストのグループに属し、そこで田原さんを知りました。酒もゴルフも麻雀も全くやらない、書く事が趣味というジャーナリズムの”仕事師”という言葉がぴったりの仕事一筋の人です。

いま、権力と対峙できる日本のジャーナリストは数少ない、という危機的な状況で、田原氏の編集する『オフレコ!』がどんな情報、企画を読者に提供してゆくのか興味津々です。ちなみに創刊号にはあの鈴木宗男、堀江貴文、渡邉恒雄、佐藤優(外務省のラスプーチン)ら刺激的な人物が登場します。(2005年7月17日記)

Wednesday, June 29, 2005

北岡和義ブログ第42回 埒がゆかない拉致問題

北岡和義ブログ第42回です。 6月24日から3日間、北朝鮮拉致被害者家族の会と救う会が、首相官邸に近い衆議院第二議員会館前で座り込みました。(写真)30度を越える炎天下、横田滋さんら家族会のメンバーと約500人の救う会の支援者が国会議事堂裏の議員会館前舗道にずらり、それをメディアが取材します。ぼくも家族の必死の訴えを撮影しましたが、全く 埒がゆかない拉致問題、家族会の人たちの苛立ちは募る一方です。

この座り込みは、拉致問題への国民の関心が薄れ、風化してゆくことを畏れる家族会や救う会が、メディアを惹きつけ報道させることで一般の国民に拉致問題が何ら解決していないことを再認識してもらう、という狙いと見ましたが、北朝鮮への経済制裁を発動せよ、と小泉首相に訴える叫びは悲痛でした。

まさに膠着状態で動かない拉致問題、家族会と救う会は、4月24日に東京で6,000人を集め、「小泉首相に決断を求める国民大集会」を開き、制裁発動と小泉首相に面会を求めていますが、未だ実現に至らず、ついに座り込みという強行手段に出たのです。

すでにお馴染みになった横田滋・早紀江さん夫妻ら家族会の人たちが、つぎつぎと座り込みの人たちを前に「もう我慢尾の限界」「早くめぐみさんを返して!」と叫び、首相官邸に向けて経済制裁発動を訴えましたが、政府は動きません。拉致問題解決への努力は、水面下で続いているのでしょうか。ロサンゼルスに横田さんらが来て、ぼくの番組にも出演していただき、家族の悲痛な気持ちを話していただきましたが、なんともやりきれない気分で炎天下の座り込みを見続けました。

経済制裁の発動は、対北朝鮮に対する強行手段ですが、あのような独裁政権に果たして強硬な態度で臨んで物事が解決に向うだろうか、という疑念もあります。と、言って有効な解決手段は全く見当たりませんし、家族会の苛立ちは暑さとともにさらに募っていきます。凡な表現ですが、粘り強く、拉致さんた人たちが帰国できるまで訴え続ける以外に手はないのでしょうか。(2005年6月30日記)

Friday, June 24, 2005

北岡和義ブログ第41回 「再会」の渡辺・横井夫妻に再会

北岡和義ブログ第41回です。真夏日の6月24日午後5時半、戯曲「再会」ロサンゼルス公演で知り合った演出家で舞台俳優の渡辺義治さんと奥さんの横井量子さんと新宿の喫茶店で再会しました。中国残留婦人問題と日本の戦争犯罪をテーマにした演劇「再会」が8月4日から9日まで、紀伊国屋新宿南口店(高島屋隣)7階サザンシアターで再演されます。敗戦60周年を目前に渡辺夫妻の執念の東京公演です。そして・・・1993年以来、日本各地、中国、アメリカなどで247回続いた、この芝居、この東京公演が最後となります。

渡辺・横井夫妻がロサンゼルスに来てぼくを訪ねたのが2001年でした。リトルトーキョーの小さな劇場で2日間上演されたのですが、観客の大半が中国人だったこと、強烈な印象でした。ぼくはこのLA公演を撮影し、現地のテレビ番組で放送、さらにドキュメンタリー・ビデオを制作しました。(欲しい人は実費でお渡しします)

そしてロサンゼルス公演の直後、あの、911同時多発テロが起きたのです。渡辺夫妻がデトロイトに滞在していた時でした。しかし彼らは敢然とニューヨークへ乗り込み、あの911テロの惨劇で世界中がニューヨークを見つめていた時、公演を決行した、といいますから凄いですね。

渡辺夫妻は50代後半、戦争犯罪を告発する、という深刻なテーマを掲げて、12年間、日本~中国~アメリカと芝居を続けてきたのですからそのエネルギーや相当なものです。過労でしょう。横井さんは健康を損ねて何度も病床に伏しながら回復し、被爆60周年を向かえる8月4-9日、最後の公演に情熱を燃やし続けています。

過去、このお芝居を見た人は12万人。初演から10年、2003年暮れで終わりにするつもりだったけど、イラクへの自衛隊派遣などの動きを座視できず、再演を決意したどうです。C戦犯だった実父と自死した母親、という家庭から日本人の出自を自問し、中国にでかけて過酷な歴史に遭遇、脚本を書いたのが戦後生まれのが渡辺さんです。日本人の戦争責任を問う、というこの重いテーマを奥さんの量子さんと共演し、多くの感動を与えました。未だ見ていない人がたくさんいると思います。ぜひ、この最後の東京公演、見に行ってほしいとご案内します。紀伊国屋は新しくできた新宿駅南口、高島屋の隣の大きな店の7階です。前売り券一般5,500円。学生4,200円。高校生以下は2,100円。(2005年6月25日記)

Sunday, June 19, 2005

北岡和義ブログ第40回 大自然を闊歩するオバタリアン

北岡和義ブログ第40回です。6月17日、友人の八ヶ岳の山荘に行きました。別荘の住民の畑仲間で地主から畑の一画を借りてイチゴ、キュウリ、トマト、レタス、トウモロコシ、エシャーレット、ダイコン、ネギ・・・片っ端から植えて野菜が育つのを楽しんでいるのです。もちろん農薬なんか金輪際使いません。ハウス栽培と違って自然の太陽をいっぱい浴びて育つ野菜の美味しい事。

八ヶ岳に蕨採りに出かけました。約2時間ほどで両手にもちきれないほど蕨を採りました。(写真)途中、ウドもあったので2、3本根を掘り、いい運動になりました。山で出会った登山者はほとんど中年の女性ばかり。子どもが大きくなって家事から解放された年代の女性は仲のいい者同士で山に登ったり、観光旅行や温泉に浸かったり、遊びまくる近年の日本の風景だそうです。

リストラに怯え、早朝から深夜まで働いて疲れ、週末くらい自宅でゆっくりしたい、という男たちには遊ぶ余裕が無いのでしょう。日本の観光地は中年女性の天下なのです~確か、昔”オバタリアン”とかいった漫画が流行ったことを思い出しました。 女性は強い。

近くにある温泉は300~500円くらいで入れます。湯質も良く、しかも最近の施設は清潔で汚れなんか全く無く実に綺麗です。あちこちに美術館があり、野菜の即売所があり、焼きたてのパンを売る店あり、スーパーマーケットの充実ぶりは都会と比べても遜色ありません。友人は典型的な中産階級だと思いますが、年金で生活でき、かつ東京と八ヶ岳に山荘が持てる時代となっただなあ、と感慨きしり。

国会は会期を55日間延長、8月13日まで郵政民営化法案をめぐって与野党の攻防が続きますが、果たして郵政民営化問題は政局になるかどうか、政界は暑くて熱い季節を迎えます。小泉首相は日韓首脳会談に臨みます。(2005年6月20日記)

Monday, June 13, 2005

北岡和義ブログ第39回 三島大社と日大国際関係学部

北岡和義ブログ第39回です。 6月13日、新幹線で三島へ行ってきました。日大の国際関係学部は、旧陸軍野戦重砲兵第二連隊の跡地にあり、戦前からの軍の敷地は大学のキャンパスとなって、若い学生が溢れています。10年前、シリコンバレーで毎月開いていた勉強会で知り合ったコンピューター技術に詳しい知人がこの学部の教授となって、大学経営に取り組んでいるのです。

その教授の紹介で佐藤三武朗学部長を訪ねました。書生っぽい雰囲気漂うロマンチストで、半年前、上梓した小説を一冊くださり、三島大社を案内してくださいました。源頼朝が100日祈願して平家討伐に出発したというこの神社には頼朝と北条政子が座ったという石もあるのです。

霊峰・富士山を眺めることができる三島市は、伊豆半島の付け根の位置にあります。修善寺をはじめ歴史の色濃い史跡が多い伊豆。川端康成の「伊豆の踊り子」はあまりにも有名ですが、井上靖の出身地は天城、芥川龍之介ら文人が逗留した由緒ある旅館があり、各地に文学碑を見ることができます。

話題に欠かない観光資源が数多くあるのにそれを知らしめる努力を怠っている、と三島の魅力を話してくださいました。大学人でありながら地元コミュニティをこよなく愛する佐藤学部長と飲んだらすっかり三島市ファンになっていました。

三島市には数年前、立ち寄ったことがありますが、町を流れる小川の清冽な澄んだ水に感動したことを覚えています。水の綺麗な町に住みたい、とかねがね願っていたのですが三島はその願いを120%適えています。富士山の雪解け水が地下水となり、自然の湧き水となって水が豊かな土地なのです。

「水と緑と人が輝く夢あるまち・三島~環境先進都市をめざして~」と市役所のホームページにありました。うなぎと鮨が美味しく、伊豆の温泉郷も近い三島、日本はまだまだこうしたいい町があるのに観光客が年々減ってきているそうです。町興しを熱っぽく語る佐藤学部長に共鳴し、いささか飲みすぎました。(2005年6月13日記、あじさいの写真は若尾龍彦氏がメールで送ってくれたもの)